現代外国人名録2016 「キム・ジョンピル」の解説
キム・ジョンピル
金 鍾泌
Kim Jong-pil
- 職業・肩書
- 政治家 元韓国首相,元韓国自由民主連合(自民連)総裁,元韓日議員連盟会長
- 国籍
- 韓国
- 生年月日
- 1926年1月7日
- 出生地
- 朝鮮・忠清南道扶余(韓国)
- 別名
- 号=雲庭, 愛称=JP
- 学歴
- ソウル大学師範学部〔1947年〕中退,韓国陸士(第8期)〔1949年〕卒
- 勲章褒章
- 米国銅星勲章, 一等保国勲章, 中国大授宝勲章, 勤政・修交勲章
- 経歴
- 1958年韓国陸軍情報参謀部企画課課長、’61年朴正煕の軍事クーデターに加わり、同年KCIA(韓国中央情報部)初代部長に就任。’62年10月東京で大平正芳外相と日韓交渉の大筋をまとめる(金・大平メモ)。’63年韓国国会議員に初当選。同年民主共和党議長。’71年6月〜’75年11月首相を務め、’73年11月金大中事件の“謝罪特使”で来日。’76〜79年韓日議員連盟韓国側初代会長。’79年11月民主共和党総裁。全斗煥政権下の’80年5月200億ウォンを超す不正蓄財の疑いで戒厳軍に連行され、同年6月一切の公職から引退。’84〜86年渡米。’85年3月公民権回復、’87年10月新民主共和党を結成し総裁となり、12月の大統領選に出馬したが落選。’90年5月与党三党が合併して発足した新与党・民主自由党(民自党)の最高委員となる。’92年8月党代表最高委員(党ナンバー2)に昇格。’93年5月〜’95年1月党代表委員。’95年2月民自党離党、3月韓国自由民主連合(自民連)を結成し総裁に就任。’97年11月名誉総裁。’98年2月金大中政権で首相に指名されるが国会の同意が得られず、3月首相代理。同年8月〜2000年1月首相。同年7月韓日議員連盟会長に選出。2001年10月自民連総裁に復帰。2004年4月総選挙敗北の責任を取って、総裁を辞任、政界を引退した。国会議員は通算9期務めた。金泳三、金大中と並ぶ有力政治家の一人として“三金”と呼ばれ、朴大統領の後継者とも目されたが、最高指導者の座に就く機会には恵まれなかった。“JP”の愛称で呼ばれ、知日派としても知られた。終生の政治目標は“大統領制から議院内閣制への改憲”だった。2004年5月、2002年の統一地方選挙に関わる政治資金法違反の罪で、最高検察庁に在宅起訴される。2004年6月ソウル中央地裁より懲役1年、執行猶予2年の判決を受ける。自民連は2006年に解散。著書に「JPコラム」「新しい歴史の鼓動」などがある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報