改訂新版 世界大百科事典 「キャーティプチェレビー」の意味・わかりやすい解説
キャーティプ・チェレビー
Kātip Çelebi
生没年:1609-57
オスマン朝の文人。キャーティプ・チェレビーは職業に基づくあだ名で,本名はムスタファ・ブン・アブドゥッラー。欧米ではハッジ・ハリーファとして知られる。官人の子としてイスタンブールに生まれ,自身も実務官人として各地を転任し諸職を歴任した後,イスタンブールで没した。本務のかたわらイスラム教学と世俗的諸学問の両方面について研究を続け,書誌学,歴史学,地理学,イスラム神学その他広い分野にまたがって多くの著作を残し,オスマン朝最大の百科全書的博学者として知られる。とりわけ,書誌学における彼の著作《諸書名と諸学問についての疑問の探求》は,イスラム世界の著作類に関する包括的書誌として不朽の価値を有する。地理学における未完の世界地理書《世界の鏡》は,西欧側の地理書も利用して書かれたオスマン朝地理学史上最大の作品である。歴史学においても,イスラム通史としてアラビア語の《要約》およびトルコ語の《歴史の暦》,1591年から1654年までのオスマン朝史であるトルコ語の《要約》等も,トルコ史学史上,重要な著作である。彼は現実政治にも関心を有し,政治改革論として《混乱の改革における行動の原則》を著したが,この著作はその後のオスマン朝の政治家・政論家に大きな影響を与えた。
執筆者:鈴木 董
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報