キロガ(その他表記)Vasco de Quiroga

改訂新版 世界大百科事典 「キロガ」の意味・わかりやすい解説

キロガ
Vasco de Quiroga
生没年:1478か88-1565

スペインの法律家で,メキシコのミチョアカンの初代司教。おそらくサラマンカ大学で教会法を修め,1525年ころから宮廷に入り,やがてその清廉潔白な人柄を買ったカルロス1世から,当時暴政のために混乱の最中にあったヌエバ・エスパニャ(メキシコ)の事態収拾の任の一端を託された。31年初頭着任したキロガは原住民窮状に強く心を打たれ,翌年メキシコ市郊外にサンタ・フェという救済村を私財で建設,次いでこれを巡察先のメキシコ西部のミチョアカン地方にも広げ,37年ミチョアカン司教に任ぜられた。トマス・モアの《ユートピア》の内容から採った生活規範を定め,これによって原住民の教化と規律ある社会生活への適応を図った。それは征服とその後の生活条件の激変で,ともすれば滅亡の危機に瀕した原住民を,物心両面から救済しようとする努力でもあった。
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キロガ
Horacio Quiroga
生没年:1878-1937

ウルグアイ作家。当初モデルニスモの散文作家として出発し,死への恐怖テーマにした作品を手がけたが,のちにアルゼンチンのミシオネス地方の密林に接して,巨大な自然に対する人間動物生存のための闘いに打たれ,写実主義文学への道を歩み始めた。1920年代から生まれる〈大地小説〉の先駆者で,作品は《アナコンダ》(1921)などすべて短編である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キロガ」の意味・わかりやすい解説

キロガ
Quiroga, Horacio

[生]1878.12.31. サルト
[没]1937.2.19. ブエノスアイレス
ウルグアイの小説家。「近代派」と E.A.ポーの影響下に詩,短編の創作を開始。アルゼンチン北東部のミシオネス地方への探検に加わり,以後生涯の大半をこの熱帯性辺境で過した。極限状況,異常な環境におかれた人間に強烈な関心を寄せ,この辺境に見出した圧倒的な自然の力と戦い,生き,敗れていく人間像のなかの一人として,みずからも耕作にたずさわりながら,ドラマチックな緊張感に満ちた数多くの短編小説を発表。晩年は癌を病み,孤独のうちに自殺。代表作『愛と狂気と死の短編集』 Cuentos de amor,de locura y de muerte (1917) ,『野性の男』 El salvaje (20) ,『アナコンダ』 Anaconda (21) ,『追放された人々』 Los desterrados (26) 。

キロガ
Quiroga, Juan Facundo

[生]1793
[没]1835
アルゼンチンの政治家。西部内陸地域のガウチョの首領。ブエノスアイレス州政府の内相 B.リバダビアの自由主義的改革に対し,1823年反旗を翻した。コルドバ州の独裁者として勢力を伸ばし,35年暗殺されるまで J.ロサスを援助した。

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百科事典マイペディア 「キロガ」の意味・わかりやすい解説

キロガ

ウルグアイの短編作家。ラテン・アメリカの自然・風土をテーマとする写実主義的な土着文学〈大地小説〉の先駆者。代表作《アナコンダ》(1921年)。

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世界大百科事典(旧版)内のキロガの言及

【タラスコ】より

…1522年スペイン人に征服されるまで,タラスコ王国はアステカ王国の攻撃に屈することなく,バルサ川以西,現在のハリスコ,ケレタロ,グアナフアトの各州にも勢力を広げていた。37年V.deキロガがこの地方の初代司教に着任,エラスムスの思想に基づくユートピア建設を試みたことは名高い。その結果,タラスコには土着宗教が今日ほとんど痕跡をとどめていない点でも,メキシコの他の原住民集団と異なる。…

※「キロガ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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