アラブ系の哲学者。バスラ(あるいはクーファ)に生まれる。南アラビアのキンダ人の出身のためにキンディーとよばれ、イスラム哲学史上数少ない純粋のアラブ人であるため「アラブの哲学者」と敬称される。アッバース朝カリフ、アル・マームーンとアル・ムータシムal-Mu'tasim(在位833~842)の庇護(ひご)を得て、ヘレニズム思想の文献のアラビア語翻訳に大きな貢献をした。思想家としては新プラトン主義とアリストテレス哲学の折衷的世界観を有し、のちのイスラム逍遙(しょうよう)派哲学の鼻祖となった。他方、宗教と哲学の調和のために努力した。博学でその著作分野は多岐にわたり、そのいくつかは中世ヨーロッパでラテン語訳された。
[松本耿郎 2016年10月19日]
ラテン名アルキンドゥスAlkindus。イスラム世界最初の哲学者であり,百科全書的に諸学に通じたイスラム知識人(ハキーム)の典型。またペルシア人やユダヤ人の学者の多い中で,数少ないアラブの大学者であり,それゆえ〈アラブの哲学者〉と呼ばれる。クーファに生まれ,父は同地の総督であった。バスラとバグダードで学び,アッバース朝のカリフ,マームーンとムータシムのもとで新来のギリシア哲学を咀嚼し,それをムータジラ派の合理主義神学と一致させようと努力し,ムタワッキルのとき正統主義神学の反動にあって迫害された。彼はアリストテレス哲学を新プラトン主義の立場で吸収消化し,イスラム世界におけるペリパトス学派の祖となるとともに,有名な《知性論》は,文字どおりその後のイスラム哲学の出発点をつくり上げた。数学,天文学,占星術,自然学,医学,薬学,音楽などについて約260の論文を書いたといわれるが,現存するものは少ない。後世への影響が大きいものは,ラテン語訳された《光学》と独特な数学的処方学の書《医薬合成階梯》である。
執筆者:伊東 俊太郎
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…また,スーフィーは,ジクルと呼ばれる音楽的な儀式を行う。(2)古典的芸術音楽にみられる理論体系と実践 イスラムの征服が東西にのびるとともに各地の音楽を吸収し,ギリシア音楽理論を受け継いだ音楽文化は,アッバース朝になると黄金期を迎え,マウシリー父子,キンディーらのすぐれた音楽家,音楽理論家を輩出した。のち,イスラム文化は沈滞期に入り,その音楽の中心地はトルコへ移った。…
… 9世紀のバイト・アルヒクマの建設後,アリストテレスの哲学書は相次いでアラビア語に翻訳された。もとムータジラ派に属したキンディーは,アリストテレス哲学の基礎的概念をより正確に理解しようとして,ムスリム最初の哲学者となった。イスラム哲学の出発点には,新プラトン主義思想によって解釈されたアリストテレス哲学があり,その終点には,イブン・ルシュドを集大成者とする膨大なアリストテレス哲学の注釈書があった。…
…このようなかたちでアラビア語に紹介されたアリストテレスの研究が,イスラム世界での哲学研究の主流になった。 初期イスラム哲学界において顕著な活躍をした人はキンディーである。彼はアッバース朝の保護下にギリシア哲学の翻訳研究を指導した。…
…これに伴ってイスラム史におけるエジプトの独自な地位を評価しようとする動きが強まり,ファラオの時代をも視野に入れたエジプト年代記が執筆されるようになった。また,キンディーKindī(897‐961)に始まるエジプトの美点(ファダーイル)と地誌(ヒタト)の記述は,マクリージーにより〈エジプト誌〉として集大成された。エジプトに古くから伝わるグノーシス思想はズー・アンヌーンによってイスラム神秘主義の体系化に援用されたが,この時代になるとイスラム神秘主義はさらに土着的な展開を遂げ,タンターのアフマディー教団は聖者アフマド・アルバダウィーの生誕祭をコプト暦によって祝ったという。…
※「キンディー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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