日本大百科全書(ニッポニカ) 「ギュルビッチ」の意味・わかりやすい解説
ギュルビッチ
ぎゅるびっち
Georges Gurvitch
(1894―1965)
フランスの社会学者。ロシアに生まれ、ペテルブルグ大学卒業後、1919年同大学助教授となる。この間ロシア革命を体験し、1921年にソ連を去り、プラハ大学を経て、1925年フランスに渡り、パリ大学スラブ研究所講師に就任。1928年帰化すると同時にパリ大学文学部講師となり、さらにボルドー、ストラスブール各大学教授を経て、第二次世界大戦中アメリカに亡命。1943年までNew School for Social Researchで教え、ハーバード大学などにも招かれる。戦後、パリ大学に戻り、教授として社会学を担当し、あわせて高等研究院第六部の研究主任となり、『国際社会学手帖(てちょう)』の編集をはじめ、戦後フランス社会学の再生に貢献するとともに国際的にも活躍する。
初め哲学者として出発するが、プルードンやマルクスの研究を進め、法哲学、社会哲学を経て社会学の研究に至る。1938年の『社会学試論』によってデュルケーム社会学を批判し、「深さの社会学」の提唱によって社会的現実の総体的かつ動的分析の理論化を図った。『社会学の現代的課題』(1950)において、微視的社会学、集団の差異類型学、巨視的社会学から構成される一般社会学の体系を提示して、古い社会学からの脱皮を図った。それは、現象学や弁証法を背景として、弁証法的超経験主義と相対主義的多元主義の立場をとる。
[田原音和 2018年7月20日]
『寿里茂訳『社会学の現代的課題』(1970・青木書店)』