日本大百科全書(ニッポニカ) 「クラペイロン」の意味・わかりやすい解説
クラペイロン
くらぺいろん
Benoit Paul Emile Clapeyron
(1799―1864)
フランスの技術者、物理学者。パリ生まれ。エコール・ポリテクニク(理工科大学校)に学び、1820年ロシアに行き、ペテルブルグで教師、技師を務めた。1830年に帰国、鉄道技師として働き、パリ―サン・ジェルマン間の鉄道敷設の際は、R・スティーブンソンが長い勾配(こうばい)のために機関車の設計を辞退した後を受けて、その設計、製造を行った。1834年「熱の動力について」という論文を発表、S・カルノーの熱学の業績を全面的に支持し、解析的表現をとることでその考えに光をあてた。熱素説の立場にいたが、後の絶体温度の概念につながる関数を設定し、また水蒸気についての重要な関係式(クラウジウス‐クラペイロンの式)を導いた。いわゆる「カルノー・サイクル」をp‐vグラフに初めて表現し、ケルビンやクラウジウスに多大の影響を与えた。生涯、蒸気機関に関心をもち続けたが、彼自身、独創的に問題を発展させることはなかった。1848年科学アカデミーの委員になり、スエズ運河の計画や、軍艦に蒸気力を応用する計画の委員会などで活躍した。
[高山 進]