クラウジウス(読み)くらうじうす(英語表記)Rudolf Clausius

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クラウジウス」の意味・わかりやすい解説

クラウジウス
くらうじうす
Rudolf Clausius
(1822―1888)

ドイツの物理学者。北ドイツ、プロイセンのケスリン(現、ポーランドコシャリン)で1月2日に生まれる。父が経営する初級学校を経て、シュテティンの中級学校に進み、1840年ベルリン大学に入った。L・ランケ史学にも心をひかれたが、結局は数学・物理を専攻、1847年にハレ大学で学位を取得した。まずベルリン砲工学校の教職の地位を得たが、1855年には、新設のスイス、チューリヒ工科大学の数理物理の教授になった。同地では、機械学(エネルギー論)のツォイナーGustav Zeuner(1828―1907)、数学のデーデキントや、イギリスからベルリンへ留学にきた物理学のチンダルらと親しく交際した。1867年以降、ウュルツブルク、ボンの大学教授を歴任、後者では学長に推された。愛国心に富み、プロイセン・フランス戦争では救護の学生隊の指揮にあたり、負傷の災難にあった。1888年8月24日、ボンで長逝した。

 物理(おもに理論)全般にわたった研究のうち、もっとも意義深いのは、熱理論に関するものである。学位を得てから3年しか経ていない1850年に、「熱の動力およびそれから導かれる熱学法則について」という論文を発表し、この分野での見識を示した。主張の第一は、熱と(力学的な)仕事とが一定の関係で、互いに変換されうるということの論証であって、彼は、旧来の熱素観(熱は物質一種であると解する見方)をはっきり否定した(すなわち熱はエネルギーであると言明した)。また、主張の第二は、熱が仕事に変換されるときの条件の定式化であって、それを「熱がそれ自体で(仕事の消費を伴わずに)低温源から高温源へ移ることはない」と表現した。続く1854年の論文では、前述の二つの主張それぞれを力学的熱理論(今日いう熱力学)の第一法則、第二法則と名づけた。そして、この論文と1865年の論文とで、熱と関連する現象には不可逆性が伴いうること、その度合いを表すにはエントロピーという量が役だつこと、不可逆な現象ではエントロピーが増大すること、などを詳論した。それと並んで、物質の状態変化に関するクラウジウス‐クラペイロンの式、気体運動論での平均自由行程の考え、誘電体に関するクラウジウス‐モソッティの式、電解質についての解離の概念なども、彼の重要な業績である。論文は晦渋(かいじゅう)の感を与えるが、彼を評して理論物理学者の元祖と称する人もある。

[高田誠二]

『E・マッハ著、高田誠二訳『熱学の諸原理』(1978・東海大学出版会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クラウジウス」の意味・わかりやすい解説

クラウジウス
Clausius, Rudolf Julius Emmanuel

[生]1822.1.2. ポーランド,コシャーリン
[没]1888.8.24. ボン
ドイツの物理学者。ベルリン大学卒業。ベルリン砲兵工科学校物理学教授 (1850) ,チューリヒのスイス連邦工科大学教授 (55) ,ウュルツブルク大学教授 (67) を経てボン大学教授 (69) ,のち学長。熱運動論の立場から熱学理論の再構成に着手,カロリック説の基礎概念である顕熱,潜熱に変えて,物質の状態量として内部エネルギー概念を導入,熱と仕事の同等性の考えに解析的表式を与えて一般化し熱力学第一法則とした。次いでカルノーの定理を拡張したクラウジウスの定理を根本原理として設定して熱力学第二法則とし (50~54) ,のちにエントロピー概念を導入することによって,これをエントロピー増大法則として定式化した (65) 。以上熱力学の基礎を築くとともに,気体分子運動論においても,気体分子の内部自由度 (57) ,平均自由行程の概念 (58) を導入することによって,気体の比熱,拡散現象などの理論的解明に寄与した。また電解質の解離の概念の提出 (57) によって電気分解論を基礎づけたほか,電磁気学の理論的研究の動向にも影響を与えた。 1879年,ロンドン・ロイヤル・ソサエティのコプリー・メダルを受賞した。

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