ドイツの物理学者。北ドイツ、プロイセンのケスリン(現、ポーランドのコシャリン)で1月2日に生まれる。父が経営する初級学校を経て、シュテティンの中級学校に進み、1840年ベルリン大学に入った。L・ランケの史学にも心をひかれたが、結局は数学・物理を専攻、1847年にハレ大学で学位を取得した。まずベルリン砲工学校の教職の地位を得たが、1855年には、新設のスイス、チューリヒ工科大学の数理物理の教授になった。同地では、機械学(エネルギー論)のツォイナーGustav Zeuner(1828―1907)、数学のデーデキントや、イギリスからベルリンへ留学にきた物理学のチンダルらと親しく交際した。1867年以降、ウュルツブルク、ボンの大学教授を歴任、後者では学長に推された。愛国心に富み、プロイセン・フランス戦争では救護の学生隊の指揮にあたり、負傷の災難にあった。1888年8月24日、ボンで長逝した。
物理(おもに理論)全般にわたった研究のうち、もっとも意義深いのは、熱理論に関するものである。学位を得てから3年しか経ていない1850年に、「熱の動力およびそれから導かれる熱学法則について」という論文を発表し、この分野での見識を示した。主張の第一は、熱と(力学的な)仕事とが一定の関係で、互いに変換されうるということの論証であって、彼は、旧来の熱素観(熱は物質の一種であると解する見方)をはっきり否定した(すなわち熱はエネルギーであると言明した)。また、主張の第二は、熱が仕事に変換されるときの条件の定式化であって、それを「熱がそれ自体で(仕事の消費を伴わずに)低温源から高温源へ移ることはない」と表現した。続く1854年の論文では、前述の二つの主張それぞれを力学的熱理論(今日いう熱力学)の第一法則、第二法則と名づけた。そして、この論文と1865年の論文とで、熱と関連する現象には不可逆性が伴いうること、その度合いを表すにはエントロピーという量が役だつこと、不可逆な現象ではエントロピーが増大すること、などを詳論した。それと並んで、物質の状態変化に関するクラウジウス‐クラペイロンの式、気体運動論での平均自由行程の考え、誘電体に関するクラウジウス‐モソッティの式、電解質についての解離の概念なども、彼の重要な業績である。論文は晦渋(かいじゅう)の感を与えるが、彼を評して理論物理学者の元祖と称する人もある。
[高田誠二]
『E・マッハ著、高田誠二訳『熱学の諸原理』(1978・東海大学出版会)』
ドイツの物理学者。熱力学の主要な建設者であり,熱力学第1,第2法則を定式化した。プロイセンのケスリンの生れ。ベルリン大学で学んだ後,ハレ大学で学位を得,ベルリンの砲工学校の教師を経て,チューリヒ工科大学,ビュルツブルク大学,ボン大学の教授を歴任した。1850年の《熱の動力について》では,熱は物質粒子の運動の現れであるとする立場から,ジュールの原理(熱機関に投入された熱の一部は仕事に変わる)を熱力学の第1法則として定式化した。さらに熱素説に立つと考えられていたカルノーの定理(得られる最大の仕事は投入された熱と温度差とに比例する)は,熱素の保存という考えを捨てれば第1法則と矛盾するものではないことを示し,熱力学の第2法則として確立した。54年の《第2法則の種々の形式》ではエネルギー変換の不可逆性を表す量の考えを導入し,65年にはこの考えを物質の状態変化に適用してエントロピーと名付け第2法則を数量的に定式化した。また,気体分子運動論における平均自由行路,ビリアルなどの概念の導入や電気化学への貢献もある。
執筆者:安孫子 誠也
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ドイツの理論物理学者.熱力学の大成者で,不可逆変化の数学的表現に成功した.1840年ベルリン大学入学,L. Rankeの史学講義に関心を示すが,数学と物理学を修め,H.G. Magnusの門下となる.1855年チューリヒ工科大学教授,1869年ボン大学教授となり,のちに学長を務める.光学や弾性の研究を通じて熱と仕事の相互転化を認識し,それまでの熱素説をもとにする熱力学を,エネルギー概念をもとに築きなおした.1850年物体の“内部エネルギー”概念を導入し,熱力学第一法則を数学的に定式化した.1854年エネルギーの質を表す“エネルギー転化の等価値”を導入.その後,しばらく気体分子運動論を研究し,“平均自由行程”概念を導入(1858年)した.この背景のもとに理想気体などをモデルにして,熱力学第二法則の数学的定式化を試みる.1865年物体の質を表す“内部転化”あるいは“エントロピー”の導入によってそれを果たした.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
…このように,Q/Tが状態の乱れの度合を表していることは明らかで,このQ/TをエントロピーSと定義する。 エントロピーという概念は,熱力学的な状態の変化を特徴づけるものとしてR.J.E.クラウジウスが導入したものであり,その名はギリシア語のentropē(反転する働きの意)に由来し,変化容量の意味で命名されたものである。
[エントロピーのミクロな意味]
エントロピーにミクロな意味づけを与えたのはL.ボルツマンである。…
…一般に変化は系を構成する粒子ができるだけ乱雑な配置をとる方向に自発的に起こる。これはR.J.E.クラウジウス(1850)およびW.トムソン(1851)によって確立された原理で,熱力学第2法則と呼ばれる。乱雑さはエントロピーの大きさによって測られ,熱力学第2法則は,自発的な変化ではつねにエントロピーは増大する,と述べられる。…
…自由エネルギーの名も,仕事に変えられるという意味からH.ヘルムホルツがつけた(1882)ものである。TSの部分は,系の乱れの度合を表す項で,いわば縛りつけられたエネルギーを表すことから,R.クラウジウスはこれを縛束エネルギーと呼んだ。閉じた系の等温等積での熱平衡条件は,F=極小で与えられる。…
… 原子を剛体球と考え,それらが真空中を自由に飛び回っているという構造仮説からボイルの法則を理解しようとする動力学的理論は,D.ベルヌーイ(1738),ヘラパスJohn Herapath(1821),ウォーターストンJohn James Waterston(1846)らが提出したが,ニュートンやラプラスの権威が学会を支配していた時代には,原子間力を無視する単純化しすぎた理論として受け入れられなかった。熱素説を崩したものは熱量保存則を否定した熱力学の成立であり,J.R.マイヤー,J.P.ジュール,H.L.F.ヘルムホルツによるエネルギー保存則とカルノーの定理の総合として,R.J.E.クラウジウス,W.トムソン(ケルビン)によって建設された。また,ジュールとヘルムホルツは種々のエネルギー形態のうち力学的エネルギーを根本的と考えた。…
…1870年R.クラウジウスによって導入された熱力学(気体分子運動論)上の概念。語源はラテン語の力を意味するvisの複数形であるviresに由来する。…
…平均自由行程ともいう。平均自由行路の考え方を最初に導入したのはドイツのR.クラウジウスである。一般に,粒子が他の粒子と衝突した瞬間から,次の衝突が起こるまでに動ける距離を自由行路という。…
※「クラウジウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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