クルイレンコ(英語表記)Nikolai Vasil'evich Krylenko

改訂新版 世界大百科事典 「クルイレンコ」の意味・わかりやすい解説

クルイレンコ
Nikolai Vasil'evich Krylenko
生没年:1885-1938

ソ連邦政府と党の活動家。ペテルブルグ大学卒。1904年,ロシア社会民主労働党入党。国内での組織活動と逮捕亡命をくり返し,二月革命後は軍隊での組織活動を行う。ソビエト政府成立時の軍事人民委員の一人で,17年11月には軍最高総司令官。18年3月より法務関係の活動に移り,ソ連における裁判所と検事局の組織者の一人となり,ソ連法体制に関する多数の著作を著す一方登山やチェス競技の発展にも力を尽くした。38年,逮捕され獄死。後に名誉回復された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クルイレンコ」の意味・わかりやすい解説

クルイレンコ
くるいれんこ
Николай Васильевич Крыленко/Nikolay Vasil'evich Krïlenko
(1885―1938)

ソ連の軍人政治家。ロシアのスモレンスク県の政治流刑囚の子として生まれ、ペテルブルグ大学の歴史・文学部ハリコフハルキウ)大学の法学部を卒業。1905年の革命時には学生運動の指導者として活躍し、何度か逮捕された。1917年の二月革命後、軍隊の間にボリシェビズムの宣伝をする。十月革命後ドゥホーニンNikolay Dukhonin(1876―1917)将軍にかわって最高総司令官に任命され、ドイツとの休戦交渉にあたった。1918~1931年、検察官として主要な反革命裁判を担当。1931年ロシア共和国司法人民委員代理、1936年ソ連邦司法人民委員となる。スターリンによる粛清の過程で消息を絶ち、死後、名誉回復された。

[外川継男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「クルイレンコ」の解説

クルイレンコ
Nikolai Vasil'evich Krylenko

1885~1938

ソ連の法律家,政治家。ボリシェヴィキとして革命運動に従事し,十月革命後陸海軍人民委員に就任した。のち司法界で活躍,ロシア共和国検事総長,司法人民委員を務め,理論的にも訴訟法,刑法の分野で指導的な役割を演じた。不当逮捕され,獄死。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android