ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クルプスカヤ」の意味・わかりやすい解説
クルプスカヤ
Krupskaya, Nadezhda Konstantinovna
[没]1939.2.27. モスクワ
ソ連の教育家,教育学者。レーニン夫人。ペテルブルグの古典中学校から高等女子学校に進み,約1年で退学。 1891年マルキストのサークルに参加,夜間労働者学校や日曜学校の教師をしながら革命運動に挺身し,94年頃レーニンと知合う。 96年逮捕され,98年,3年の流罪を宣告されたが,その刑期をレーニンとともにシベリアで過すことを許され,同年結婚。 1901年レーニンを追ってミュンヘンに亡命,レーニンの秘書ならびに党の機関紙の編集局書記として献身。二月革命で帰国し党書記として活躍。十月革命後は教育人民委員部に属して教育制度の樹立,識字運動,図書館などの文化センターの建設などに努力,特にピオネール運動の生みの親として「名誉ピオネール」の称号を受けた。レーニンの死後も,教育人民委員部次官 (文部次官) ,図書局長などの要職を歴任,またソ同盟科学アカデミー名誉会員に推され (1931) ,教育学博士にもなる (36) 。主著『国民教育と民主主義』 Narodnoe obrazovanie i demokratiya (17) はマルクス主義教育学の古典的著作。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報