グラーム(英語表記)ghulām

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グラーム」の意味・わかりやすい解説

グラーム
ghulām

少年または召使い,特に奴隷の召使いを意味するアラビア語。歴史的には,西アジアやインドのイスラム諸国家において君主の親衛兵として仕え,やがて軍隊や宮廷内に勢力をもつにいたったいわゆる「奴隷軍人」をいう。主として北方ユーラシア草原のトルコ系遊牧民出身者から成るが,のちにはグルジア人,アルメニア人,シルカシア人,さらにはスラブ人からも徴発された。9世紀中頃,アッバース朝カリフ,ムータシムが 3000人のトルコ人奴隷を親衛兵とするためにサマルカンドより購入して以後,イスラム諸国家において重用されるにいたった。彼らは,騎馬,弓射に巧みな戦士であるうえに,当該地になんら利害関係がなく,主人たる君主に対して絶対的忠誠を誓うという利点から,中央集権を目指す君主の親衛兵として最適であった。彼らは君主から軍事教練のみならず,学問的素養をも与えられたのち,要職につけられ,やがてサーマン朝ガズニー朝セルジューク朝エジプトファーティマ朝マムルーク朝,さらにインドのデリー・スルタン諸王朝などイスラム諸国家の行政機構を支える重要な基盤となった。しかし,彼らはしばしば軍閥を形成して互いに争い,政治的混乱や国家の滅亡をもたらすことが多く,ときにはみずから政権を樹立することもあった。エジプトのトゥールーン朝イフシード朝,マムルーク朝,イランのガズニー朝,ホラズム・シャー朝,インドの奴隷王朝などはいずれもグラーム出身者によって建てられたものである。その後イランでは,サファビー朝カージャール朝においてなお重用されたが,19世紀に西欧の影響下に廃止された。一方,オスマン帝国においては,イェニチェリ軍団の成員として 16世紀に最も大きな勢力を有したが,17世紀末のバルカンでの敗退後重要性を失い,19世紀に西欧風の宮廷組織の採用とともに廃止された。

グラーム

「グラハム」のページをご覧ください。

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改訂新版 世界大百科事典 「グラーム」の意味・わかりやすい解説

グラーム
Martha Graham
生没年:1893-1991

アメリカのモダン・ダンス界を代表する舞踊家の一人。グラハムとも。デニショーン・スクールで舞踊を学び,デニショーン舞踊団に参加するが,1923年にはショー・ビジネスの世界に進出する。しかしすぐにイーストマン音楽学校で教鞭をとり,26年には第1回のソロ・リサイタルをニューヨークで開くなどの多面的な活動をする。そして27年にマーサ・グラーム現代舞踊学校を設立したが,これはアメリカにおけるシステマティックな現代舞踊教育の嚆矢となるのである。ここでグラームは体系的な肉体訓練,筋肉の緊張と弛緩に基づく劇的な舞踊表現,舞台空間の多重的な用法などを教えると同時に,自身の舞踊技法を完成させていく。学校から輩出したE.ウィンター,ユリコ,L.ホード,H.マギー,E.ホーキンス,M.カニングハムら多数の逸材によって,《世界への手紙》(1940),《アパラチアの春》(1944),《天使の遊戯》(1948)など数々のグラームの名作が踊られたのである。1955年,74年に来日した。
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世界大百科事典(旧版)内のグラームの言及

【マムルーク】より

…黒人奴隷兵(アブド)に対して,トルコ人,チェルケス人,モンゴル人,スラブ人,ギリシア人,クルドなどのいわゆる〈白人〉奴隷兵を指す。グラームghulāmともいう。8世紀初めにアラブ軍がアム・ダリヤ以東に進出してイスラムの支配権を確立すると,多くのトルコ人が戦争捕虜や購入奴隷としてイスラム世界にもたらされた。…

※「グラーム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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