スペイン語で〈征服者〉を意味するが,とくに新大陸征服者,すなわち16世紀前葉に南北アメリカ大陸を征服したスペイン人を指す。彼らは征服によって新しい領土を獲得し,黄金・財宝を貪欲に探し求めたが,同時に偶像崇拝,人身御供などを伴う“邪教”を絶滅し,キリスト教を未知の世界の人びとへ伝えるという使命感をも持っていた。彼らは現世的利益への渇望と福音伝道の熱意とを同時に持ち合わせていたのである。その背景には,キリスト教徒のスペイン人が約8世紀にわたってイスラム教徒を相手にレコンキスタ(国土回復戦争)を戦ってきた歴史のあることを見逃すことはできない。
コンキスタドールの行う征服は,国王の認可を必要としたが,自らの生命と財産を賭す個人的事業であり,ほとんど国家の財政的援助はなかった。そのため軍の規模は小さく,征服自体,投機的性格の強い企てであった。H.コルテスは当初600名ほどの兵士,F.ピサロは200名足らずの兵士を率いて,それぞれアステカ王国,インカ帝国の大部隊を相手に戦い,滅ぼし,莫大な財宝を手に入れた。しかし,エルナンド・デ・ソトのフロリダ遠征のように,悲惨な結果に終わった例も少なくなかった。彼らに対する騎士道物語の影響も見逃せない。
征服が完了すると,王室はコンキスタドールに戦利品の1/5(キント・レアル)を求め,ついには征服地に対する王権の確立を目的として官吏を派遣し,コンキスタドールの権利の削減をはじめた。コンキスタドールは当然そうした王室の政策に反対し,ペルーにおけるG.ピサロのように,公然と反乱を起こす者も少なくなかった。とくにエンコミエンダをめぐって両者は激しく対立した。しかし,16世紀後半フェリペ2世の時代になると,もはやコンキスタドールは植民者として植民地行政機構の中に組みこまれてしまい,神の栄光,そして栄誉と富を求めて縦横無尽に活動した彼らの時代は終りを告げた。
コンキスタドールに対する歴史的評価は大きく二分され,鋭く対立している。つまり“野蛮な”インディオに人間としての道を教えたとして〈精神的征服〉の意義を重視し,コンキスタドールを賞讃し,征服を肯定する評価と,〈精神的征服〉は〈軍事的征服〉のための口実にすぎず,コンキスタドールはすべて略奪と殺戮(さつりく)にふけった獣のような者であるとして,征服を否定,弾劾する評価との二つである。いずれも事実の一面のみを強調したもので客観的評価とはいいがたい。彼らは超人でも獣でもなく,16世紀というヨーロッパ史の特異な状況に生きた人間として考察することが必要である。
執筆者:染田 秀藤
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…権利とは貢租賦役を課する権利であり,義務とは彼らを保護しキリスト教に改宗させる義務である。信託を受けた個人をエンコメンデロencomenderoと称し,多くはコンキスタドール(征服功労者)であった。信託地域は広義の所領を構成するが,住民の身分はスペイン国王の自由な臣民であって,奴隷でも農奴でもない。…
…【増田 義郎】
【歴史】
[スペインの統治機構]
スペインの植民地経営の基礎は1492年から1550年に至るいわゆる発見・征服時代に築かれた。スペイン国王はコロンブス,コルテス,ピサロ,その他代表的なコンキスタドールたちに全面的な政治権力をゆだねたので,その結果,彼らは征服地においては君主のような存在となった。しかし,いったん征服地の重要性が明らかになると,王室はコンキスタドールの権力の削減に努め,中央集権化を図るためにスペインで採用した諸制度を同じ目的のもとに新たに発見・征服したインディアスへ移植した。…
※「コンキスタドール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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