アメリカの実業家。通称ビル・ゲイツ。世界最大のコンピュータ・ソフトウェア会社マイクロソフトを一代で築き上げたカリスマ起業家として知られる。同社のパソコン用基本ソフト「Windows(ウィンドウズ)」は世界市場を独占。産業史に残るマイクロソフトの急成長に伴い、ゲイツはアメリカ経済誌『フォーブス』の世界長者番付で1994年から2006年まで13年連続で首位を保った大富豪でもある。2008年に経営の第一線から退き、その後は慈善事業に力を入れている。
1955年、アメリカのワシントン州シアトルの法律家一家に生まれた。13歳のころからコンピュータのプログラム遊びに熱中。1970年に幼なじみのポール・G・アレンPaul Gardner Allen(1953―2018)と交通量計測などを手がけるトラフォデータ社を設立した。ハーバード大学在学中に初心者向けプログラミング言語「BASIC(ベーシック)」をパソコン用に書き換えた。1975年にハーバード大学を中退し、アレンとマイクロソフト社を創業した。
パソコン向け基本ソフト「MS-DOS(エムエスドス)」が1981年発売のIBM製パソコンに採用されて成長の礎(いしずえ)が固まった。ワードプロセッサー、表計算、インターネット閲覧などのソフトを次々と開発し、マイクロソフトを「ソフトウェア王国」に育てあげた。とくに1990年発表の「Windows 3.0」でソフトの世界標準をつくりあげ、1995年発売の「Windows 95」は全世界で爆発的なブームをよんで、ピーク時の資産総額は500億ドルを超えた。一方で、パソコンに搭載するソフトをマイクロソフト社製に限るよう強制する強引な営業手法はパソコンメーカーなどの反発を招いた。このためアメリカ司法省やヨーロッパ委員会など各国独占禁止法関連当局から独占禁止法違反で提訴され、長く法廷闘争を余儀なくされた。さらにインターネットのコンテンツ検索サービス大手グーグル社の急成長で、パソコン搭載ソフトではなく、インターネット上のソフトを自由にダウンロードできるビジネスモデルが台頭。こうしたなか、ゲイツは2008年に非常勤会長に退き、マイクロソフトは集団指導体制へ移行した。
私生活では1994年にメリンダ・A・フレンチMelinda Ann French(1964― )と社内結婚し1男1女をもうけた。2000年に慈善財団「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」を立ち上げ、ワクチン接種やパソコンの無償供与などの慈善活動を開始。一線を退いた後は、慈善事業に積極的に取り組んでいる。『ビル・ゲイツ未来を語る』『思考スピードの経営』など著書多数。
[矢野 武]
『ビル・ゲイツ著、西和彦訳『ビル・ゲイツ未来を語る』アップデート版(1997・アスキー)』▽『ビル・ゲイツ著、大原進訳『思考スピードの経営』(1999・日本経済新聞社)』
アメリカの政治家。2006年12月18日、アメリカ合衆国国防長官に就任した。名前のロバートを短縮形にしてボブ・ゲイツBob Gatesと称することもあり、日本語表記ではゲーツとすることもある。カンザス州ウィチタWichita生まれ。1963年ウイリアム・アンド・メアリー大学を卒業、1966年にインディアナ大学で歴史学の修士号を取得、1974年にジョージタウン大学でロシア・ソビエト史の博士号を取得。1966年にCIA(アメリカ中央情報局)に入局、1986~1989年にCIA副長官、1991~1993年にCIA長官を務めた情報の専門家。ほかにテキサスA&M大学の学長、民間企業の役員なども歴任している。
2006年のアメリカ中間選挙で共和党が敗北した翌日である11月8日、ブッシュ大統領はラムズフェルド国防長官の更迭を発表し、後任としてロバート・ゲイツを任命。同年12月6日の上院本会議で承認され、18日に正式に就任した。2009年1月発足のオバマ政権でも引き続き国防長官を務める。
[編集部]
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