ゲンツ(読み)げんつ(英語表記)Göncz Árpád

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲンツ」の意味・わかりやすい解説

ゲンツ(Göncz Árpád)
げんつ
Göncz Árpád
(1922―2015)

ハンガリー共和国初代大統領。2月10日ブダペストに生まれる。パーズマーニ・ペーテル大学(現在のエトベシュ・ローラーント大学=ブダペスト大学)の法学部を卒業、1944年に博士号を取得。卒業後しばらく大学に残って働いたあと、ドイツ占領下で武装レジスタンス運動に加わる。1945年、独立小農業者党員として政治活動を始めたが、1948年に党が解体されて以降は職を得られず、未熟練労働者、のち錠前工として働くことを余儀なくされた。1952年よりブダペストに近いゲデレーの農業大学で学んだが、1956年には大学から除籍された。1956年のハンガリー事件に際して、ゲンツは農民連合に入り、ソ連軍のハンガリー占領(11月4日)以降は抵抗運動に参加する。1958年ハンガリーの著名な人民主義作家ビボーBibó István(1911―1979)の裁判に連座し終身刑を宣告されるが、1963年恩赦により釈放。その後は、翻訳者、作家として活動。イギリス文学の優れた翻訳者として、ウィートランド賞、さらに1983年にヨージェフ・アッティラ賞を獲得。ハンガリー作家同盟の会長を1989年から1990年まで務めた。『マジャール・メデア』『鉄格子』『天秤(てんびん)』『悲観主義的喜劇』などの著書で知られ、また英語を通して多くの日本文学も翻訳、紹介している(森鴎外(おうがい)、川端康成谷崎潤一郎など)。1998年には高円宮(たかまどのみや)妃久子(1953― )が著した児童文学(『夢の国のちびっこバク』、日本では1996年出版)も翻訳した。1980年代末からふたたび政治に参与し、自由民主連合、歴史公正委員会の創設者となる。1990年5月の総選挙で国会議長に、ついで暫定大統領に選出され、8月にはハンガリー共和国初代大統領に選出され、1995年6月再選を果たした(2000年任期満了で退任)。その飾らない人柄と大きな世界観は国民の間に幅広い人気を得て、周辺国との中央ヨーロッパ地域内協力の推進者でもあった。

[羽場久浘子]


ゲンツ(Friedrich Gentz)
げんつ
Friedrich Gentz
(1764―1832)

ドイツの政論家。1785年以来プロイセン官僚となり、フランス革命勃発(ぼっぱつ)当初はカント哲学の影響下にこれを支持したが、革命運動の急進化をみて態度を変え、バークの『フランス革命の省察』のドイツ語訳を解説つきで公にしたことから、にわかに反革命論客として注目を集めた。1802年オーストリア政府の招きでウィーンに移ると、文筆活動を通じて反ナポレオンの世論をあおり、メッテルニヒに重用されて、ウィーン会議では書記役を演じた。ドイツ連邦体制下でも、立憲君主制の反動的解釈を主張するなど、盛んに反自由主義の論陣を張ったことで知られる。

[成瀬 治]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゲンツ」の意味・わかりやすい解説

ゲンツ
Gentz, Friedrich von

[生]1764.5.2. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1832.6.9. ウィーン
ドイツの政治評論家,政治家。初めプロシアの下級官僚として,啓蒙主義を奉じ,フランス革命の正当性を評価したが,やがてジャコバン派の進出とともに反革命に転じ,E.バークの反革命論『フランス革命に関する省察』を独訳,紹介して注目を集めた。 1802年より保守的文筆家としてオーストリア政府に招かれ,イギリス,オーストリアおよびプロシアを糾合してナポレオン1世にあたるよう力説,反ナポレオン政策を主張し続けた。晩年はメッテルニヒの片腕となり,ヨーロッパでの各会議に参与し,特にウィーン会議ではメッテルニヒの補佐役として,儀礼の主人公と会議の事務局長を兼ねた。『新ドイツ月刊』 Die neue deutsche Monatschrift (1795) ,『歴史日報』 Das historische Journal (99) ,『ウィーン文学年報』 Die Wiener Jahrbücher der Literatur (1818) などの諸誌を刊行し,主著に『反フランス革命戦争の起源と性格について』 Über die Ursprung und Charakter des Krieges gegen die französische Revolution (61) がある。

ゲンツ
Gentz, Heinrich

[生]1766.2.5. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1811.10.3. ベルリン
ドイツの建築家。 K.ゴンダルトの弟子。 1790~95年イタリアで修業。ギリシア建築を範とし,新古典主義を標榜。ゲーテに招かれ,ワイマール選帝侯居城の一部 (1801~03) を制作。ほかにベルリンの造幣局 (1798~1800,86破壊) ,ルイゼ王妃霊廟 (10) など。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ゲンツ」の解説

ゲンツ
Friedrich von Gentz

1764~1832

ドイツの政論家。プロイセンの官僚時代バークの反革命論を紹介,保守的文筆家としてオーストリアに招かれ,反ナポレオンの論陣を張る。晩年はメッテルニヒの保守政治を理論的に支える存在となった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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