日本大百科全書(ニッポニカ) 「コルチャック」の意味・わかりやすい解説
コルチャック
こるちゃっく
Janusz Korczak
(1878―1942)
ポーランドの医師、作家、教育者。本名ヘンリック・ゴールドシュミットHenryk Goldszmit。帝政ロシアが支配していたワルシャワで裕福なユダヤ人の家に生まれる。11歳のとき父が死亡。苦学してワルシャワ大学の医学部に入る。そのころ応募した戯曲が入選。そのときのペンネームがヤヌシュ・コルチャックだった。『王様マチウシ1世』(1923)、『小さなジャックの破産』(1924)などの作品が広くヨーロッパで読まれる。33歳のとき病院をやめ、祖国の独立を願う慈善協会の協力を得て設立した孤児の施設で、「子どもは、希望と夢をもって自分の世界に生きる、自らの権利をもつ人間である」(「子どもの権利の尊重」・1929年)と主張し実践した。また童話、子ども新聞、教育書、さらに「老博士」の名でラジオを通して子どもの権利を訴え続けた。1942年にユダヤ人絶滅政策が始まり、8月、自分だけに与えられた助命の特赦を拒否し、子どもらといっしょにトレブリンカ絶滅収容所に送られ殺された。この最後の死の行進は目撃者によって伝説的に伝わっており、アンジェイ・ワイダ監督の映画『コルチャック先生』は日本でも公開されている(1991)。彼の生き方、思想、哲学は、戦後のポーランドの教育の財産となっており、ポーランドが積極的に提案して国連で採択された「子どもの権利条約」(1989)の原点はコルチャックの考えていた子どもの理想だといわれている。ポーランド文学アカデミー賞(1937)、ドイツ書籍協会平和賞(1972)受賞。近年、ヨーロッパを中心にその功績が再評価されている。
[新保庄三]
『中村妙子訳『子どものための美しい国』(『王様マチウシ1世』の改題)(1988・晶文社)』▽『近藤康子訳『王さまマチウシ1世―コルチャック先生のお話』(1992・女子パウロ会)』▽『近藤二郎著『コルチャック先生』(1990・朝日新聞社)』▽『ベティ・ジーン・リフトン著、武田尚子訳『子どもたちの王様』(1991・サイマル出版会)』▽『モニカ・ペルツ著、酒寄進一訳『私だけ助かるわけにはいかない!コルチャック』(1994・ほるぷ出版)』▽『樋渡直哉著『子どもの権利条約とコルチャック』(1994・ほるぷ出版)』▽『近藤康子著『コルチャック先生』(1995・岩波書店)』▽『井上文勝著『戯曲 コルチャック先生 ある旅立ち』(1995・文芸遊人社)』▽『新保庄三著『コルチャック先生と子どもたち』(1996・あいゆうぴい)』