ロシア連邦中部,オムスク州の州都。オミ川とイルティシ川の合流点に位置し,水陸交通の要所にある。人口114万2773(2004)。ノボシビルスクにつぐシベリア第2の都会。1716年要塞として建設され,19世紀には西シベリア総督府が置かれた(1824-82)。作家のドストエフスキーは1850-54年当地に流刑され,その体験をもとに〈《死の家の記録》〉を書いた。1894-95年シベリア鉄道によってチェリャビンスクおよびオビと結ばれ,さらに1913年にはチュメニとの間にも鉄道が通じた。20世紀初めのオムスクは穀物の積出しを中心とする商業都市で,工業の発達は遅れていた。ロシア革命後ただちにソビエト政権が樹立されたが,18年6月白衛軍の占領するところとなり,オムスクはコルチャーク政権の主都となった。19年11月赤軍によって解放され,22年まで〈シベリア革命委員会〉が置かれた。ソビエト政権下で工業,とくに機械製造や石油精製,食品加工などが発展した。とくに67年にウスチ・バリクUst'-Balyk~オムスク間(1036km)に石油パイプラインが敷設されて以来,石油化学工業がさかんになった。74年にはオムスク大学が設立された。
執筆者:外川 継男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ロシア連邦中部、オムスク州の州都。イルティシ川に支流オミ川が流入する地点にある河港都市で、シベリア鉄道の分岐点になっており、空港もあって、交通の要地である。人口115万7600(1999)の大都市。大規模な石油化学コンビナートがある。原料石油はオビ川中流域の油田から、1965年以来供給されている。化学(製油、カーボン・ブラック、合成ゴム、ゴムタイヤ、ゴム製品)、機械製造(モーター、トラクターや自動車の部品、自動連結器、農機、電機、化学・軽工業用機)、船舶修理、軽工業(皮革、履き物、家具、繊維、毛皮オーバー、羅紗(らしゃ)織、じゅうたん、縫製)、食料品(精肉、製粉)、建設資材(れんが、鉄筋コンクリート製品)などの工業がある。オムスク総合大学、単科大学および高等専門学校(医、農、工芸、獣医、自動車・道路、鉄道技師、教育、体育)、劇場、博物館、美術館などがあり、学術、文化の中心地でもある。
市の起源は1716年にイルティシ川右岸に建設された遊牧民に対する国境要塞(ようさい)で、その後この地方の政治、経済の中心地となった。帝政時代には流刑地の一つで、1850~54年に作家ドストエフスキーの流刑があった。1894~95年にチェリャビンスクからシベリア鉄道が同市を経てオビ川まで達し、1913年にはチュメニへも支線が通じた。18年6月には反革命軍に占拠され、翌年11月までコルチャーク政権の首都となった。
[三上正利]
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