ある地域に関する歴史の意。一国の歴史全体にかかわるものではなく,特定の地方について調査研究した歴史。
古くは《風土記》などがその先蹤(せんしよう)となるものであるが,近世に至って,藩域を対象にした《新編会津風土記》《前橋風土記》《紀伊続風土記》《筑前国続風土記》などがあり,藩の力によって編修されたものが多い。国を単位としたものには,幕府による《新編武蔵風土記稿》《新編相模国風土記稿》《甲斐国志》があり,藩の力によるものには《近江国輿地志略》《雲陽志》などがある。個人によるものにも《駿国雑志》《斐太後風土記》《雍州府志(ようしゆうふし)》《豊前志》などがある。地誌的要素が強いが,なかには古文書を記載しているものもあれば,習俗,方言を採録しているものもある。特定の地域を対象にしたものでは,《御府内備考》や《日光山志》など数多く著されている。
これらは多く地誌に属するものであったが,明治になると,政府は太政官正院に歴史課,地誌課を置いて,地誌課では各府県の現状の実態調査を主とした《皇国地誌》を編修し,歴史課では六国史の継続編集とともに各府県の沿革調査を担当した。府県の沿革は県史,国史などの名で各県から提出されたが,《皇国地誌》とともに公刊されなかった。そして府県史編修事業は1884年度で中止された。
しかしその後,府県や郡単位の史書が刊行される気運が生じて《北海道志》《山梨県市郡村誌》(ともに1892),《大阪府誌》(1902,03)などが出,1911年には《東京市史稿》《大阪市史》の刊行が始まった。また個人の手になる《徳川時代之武蔵本庄》(1912)なども現れ,郷土史と呼ばれて,その研究者も増加した。ことに明治末から大正時代にかけて各地で郡史の編集が行われたことは,それら研究者に活躍の場を与えた。大正半ばごろから社会経済史の研究が進むにつれて,各地方の基礎史料を調査する必要が生じて,政治中心または政権中心であった史料収集や記述にもしだいに変化が生じた。漁業史,林制史,民俗史などの諸分野の開拓も,地域による差異や類似点を明確にした。個々の地方的な諸事象の解明が全国的な問題を理解する前提条件と考えられるようになったのである。
昭和初年から地方史の言葉は用いられていたが,それが一般化したのは第2次大戦後である。1950年,地方史研究協議会が発足したのはその象徴であった。郷土史と呼ばれていた段階では,領主などの顕彰に重きが置かれたり,ある地域のことに限定されて,他との比較対比が不十分であったりしたのに対して,総体の中の一部であることを考慮しつつ,考古学でも,荘園研究でも,近現代史でも,多くの成果が生じた。膨大な県史,市区町村史の編集もその現れである。また歴史学のみならず,考古学,地理学,民俗学,気象学などさまざまな学問分野が総合されてきたのが特色である。しかし欧米諸国の地方史研究に比べれば,その研究組織,史料収集機関などにおいて著しく立ち遅れていることは否めない。それは明治以来の地方史学が民間の研究者の能力や努力にゆだねられて,公的な保護助成がなく,また相互の連絡協力が不十分で,資料の収集保存に必要な文書館も建設されなかったことなどが影響していた。さらに歴史観が中央指向に過ぎていたことも大きな原因であった。
執筆者:児玉 幸多
地方という概念はつねに中央ないし全体の対語としてしか存立しえない。今日のヨーロッパでも,〈地方〉史は〈国民〉史との対比において,それより小さいもろもろの部分地域の歴史を指すのが普通であるが,〈ヨーロッパ〉史との対比において,国家の境界とは無関係な諸地域の歴史という意味で地方史研究が問題になる場合もある。近代的国民国家が成立する以前の旧ヨーロッパでは,自立的に政治権力を行使する諸侯や都市の自己確認の営みとして,君侯家門の正史や都市の年代記が作成され,それが伝統的地方史の潮流をかたちづくっていた。18世紀後半以来,啓蒙主義の影響下に,教養ある市民の郷土社会改善運動の一環として郷土史への新しい関心が生じ,市民的研究サークルとして〈歴史協会〉が各地に設立される。19世紀前半になると,とくにドイツではロマン主義思潮が国民の歴史意識を覚醒させたことにより,地方史への関心は一気に高まり,世紀末までにはすべての領邦と主要都市に歴史協会が組織された。1906年,ケチュケRudolf Kötzschke(1867-1949)によりライプチヒ大学に設けられた〈領邦史と定住地研究のための研究室〉がヨーロッパ初の専門的地方史研究機関である。その後,この種の研究施設の設立はさほど進展しなかったが,第2次大戦後,ヨーロッパの各国において地域史研究の方法的重要性が強く認識され,多くの大学がそのための専門的機関を置くようになった。例えば,イギリスのレスター大学には歴史学部の中に地方史研究科があり,ドイツでは地方史研究所ないし史的地域研究所を備えた大学は10校以上にのぼっている。そうした専門研究施設では,高度な研究技術を駆使しつつ歴史学の最先端的研究活動を行うと同時に,広範な市民的〈歴史協会〉と連係しながら,その活動を援助し,非専門家的地方史研究の質を高める努力も行われている。
→歴史学
執筆者:山田 欣吾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
太平洋戦争後発達した、日本史研究思潮の一つ。それまでの日本史学が中央権力の政治動向や偉人を中心とし、皇国史観に彩られていたことを批判し、地方民衆の歴史を重視する立場にたつ。労働者・農民の歴史や女性史など、生産者・被支配者の歴史こそ中心に置かれねばならないとする、国民的歴史学運動の一環として発達した。一方、戦前からの郷土史が、お国自慢的な有名人の発掘や、狭い地域的視野に閉じこもっていたことを反省して、歴史発展の法則を各地でみいだし、あるいは歴史の全体像のなかで有する地方の役割をみいだそうとした。ことに農地解放による地主制の崩壊、多様な形でみられる日本的な封建遺制の克服といった、当時の歴史学界が当面していた課題と結び付いて、地方史は近世史を中心に展開した感があったが、近年は民俗学、地理学、考古学、人類学などの影響もあって、中世・近代の特定の地方を取り上げた研究が多くなった。
1950年(昭和25)地方史研究者・団体を全国的に統合する機関として、地方史研究協議会が結成され、さらに各地にも小研究団体が生まれ、数多くの研究誌が発行された。その基礎にたって、昭和30年代以降、市町村史・県史などの自治体による歴史編纂(へんさん)が盛行するようになり、多くの地方史研究者がこれに加わるようになった。自治体史は通史編のほかに、分厚な史料編も編集されることが一般的となったが、これは、急速な近代化と村落共同体の解体に伴い、地方文書(じかたもんじょ)類を中心とする文化財の湮滅(いんめつ)が進み、その防止が地方史研究者の社会的責務とされたこととかかわっている。同時にそれは、各自治体に文書館・郷土資料館を設立し、史料類の保存・整理とともに、民主的な史料利用体制を確立しようとする運動にも反映している。こうした地方史の編集や保存機関の設立運動には、研究者のみならず一般の地域住民の参加がみられ、大学を中心としたアカデミズムの歴史学とは好対照をなしている。けれども、日本における各地域の実証分析は深化した反面、総合し理論化する、独自の地方史方法論をまだ樹立するに至ってないとする反省がある。また日本史に集中してグローバルな視座を欠き、初発にもっていた批判的歴史学の性格が薄くなったという批判がある。
1975年前後から地域史という概念が使われるようになったが、これまでの地方史が国家史との関係をあいまいにしてきた点をつき、地方または地域の歴史像を再構成することを提唱している。
[北原 進]
『地方史研究協議会編『地方史研究』全七冊(1982~83・名著出版)』▽『木村礎著『地方史を生きる』(1984・日本経済評論社)』▽『横川末吉著『地方史を歩く――土佐』(1982・土佐史談会)』▽『北原進著『近世農村文書の読み方・調べ方』(1981・雄山閣出版)』▽『斎藤博著『地域社史の誕生』(1986・新評論)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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