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計画経済 けいかくけいざい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

計画経済
けいかくけいざい

中央集権的な政治体制のもと,労働以外の資源を政府が所有し,政府の策定した計画に従い資源配分を行う経済体制。旧ソ連などの社会主義国にみられる。これに対し,各個人の私的所有権を広く認め,財・サービスを市場において取引し,資源配分を行うものを市場経済という。

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デジタル大辞泉の解説

けいかく‐けいざい〔ケイクワク‐〕【計画経済】

一国の経済活動全般が、中央政府の意思のもとに計画的に管理・運営される経済体制。生産手段を公有化した社会主義国家経済の特徴の一つ。

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百科事典マイペディアの解説

計画経済【けいかくけいざい】

国が作成する長期計画に基づいて生産と消費の釣合のとれた発展を達成する目的で運営される国民経済社会主義経済は常に計画経済であり,中央計画機関が資財,資金,労働力の配置計画を立てて,その計画に基づいて財・サービスの生産・流通・分配が,各生産主体の活動を通して実現される。
→関連項目移行経済五ヵ年計画社会主義市場経済ソビエト連邦統制経済

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世界大百科事典 第2版の解説

けいかくけいざい【計画経済 planned economy】

一国における経済発展やその他の基本的経済活動が国家計画の作成・遂行を通して行われるとき,この国民経済は計画経済と呼ばれる。計画経済においては,財・サービスの生産・流通・分配が,国家により事前に決定された様式に従って,各生産主体の活動を通して実現されることになる。こうした経済運営メカニズムとうまく調和するのが社会主義的政治経済制度であることは明らかであろう。これに対して〈経済計画〉とは,一般に国家が経済発展に関する目標を定め,それを実現するための手段・方法を設定するという意識的な行為をさす。

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大辞林 第三版の解説

けいかくけいざい【計画経済】

財の生産および分配をはじめとする諸経済活動が中央政府の計画機関によって決定される経済体制。一般には,国家の統一意志のもとに行われる社会主義経済をさす。 → 統制経済市場経済自由経済

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

計画経済
けいかくけいざい
planned economy英語
Planwirtschaftドイツ語
conomie planifieフランス語
плановое хозяйство planovoe hozyaystvo ロシア語

本来的には、経済発展が自然成長的に行われるのではなく、社会の側からの「意識的制御」のもとに置かれているような国民経済をいう。現実には、この「意識的制御」は国家が策定する計画とその実施に対する国家的コントロールという形をとり、ソ連の例にみるように、生産、流通、分配のほとんどすべてが集権的な中央計画の統制下に置かれるというのが過去の通例であったが、それだけが意識的制御の唯一の形態ではない。労働者自主管理と市場経済を結合したユーゴスラビアの経済システムはすでに1950年代にソ連型の集権的計画経済モデルから離脱しているし、ハンガリーは1968年の経済改革で基本的に分権モデルに移行した。その他のソ連、東欧諸国でも、集権制はいくらか緩和の方向に向かい、1970年代末からは、より市場志向の強い「第三波」改革がハンガリーで開始された。これに小平(とうしょうへい/トンシヤオピン)改革下の中国、ついでペレストロイカ下のソ連が合流し「市場社会主義」に接近するかに思われたが、この流れも1989年の「東欧革命」、1991年の「新ロシア革命」による政治主導の体制転換で中断され、計画経済体制が崩壊することになった。ひとり「社会主義市場経済」を掲げる中国の経済体制も計画経済イメージとはきわめて異なる「市場社会主義」の一種といえないこともないが、その経済的実体は、特殊な政治イデオロギー(マルクス・レーニン主義、毛沢東思想)をたてまえとして維持する開発独裁型資本主義の変種とみたほうがわかりやすい。[佐藤経明]

計画経済の思想

社会(人間)による経済発展の意識的制御という思想を社会主義と結び付けたのは、いうまでもなくマルクスとエンゲルスである。彼らは将来社会の詳細な青写真を描くことにはきわめて禁欲的であったが、自分たちの主要な課題とした資本主義経済の運動法則の解明から引き出される限りで、将来社会の一般的な機能原理の問題を提起した。その核心をなすのが、商品生産、市場機構の除去によって社会的な生産を社会の意識的・計画的制御のもとに置くという構想である。
 およそどのような社会も、利用可能な生産要素(労働と設備、資材などの生産手段)を社会のさまざまな欲望に応じて各種の部門に配分(資源配分)することが必要であるし、また、経済社会の進歩を前提とする限り、社会的な労働生産性(効率)を絶えず向上させることが必要となる。生産手段の私的所有に基づく資本主義経済のもとでは、この資源配分と効率向上という二つの課題は、基本的には市場機構によって処理される。市場でより有利に売れるものの生産に社会の資源が移動してゆき、社会のさまざまな欲望に見合った産出構造がつくりあげられていく。同時に超過利潤を得ようとする個別資本の競争を通じて、社会的生産コストの低下が図られる。しかしながら、以上はいずれも市場での需給と価格の変動を通じて行われるから、必然的に事後的かつ自然成長的な調整過程となり、恐慌や破産、失業のような社会的帰結を伴わずにはいない。
 これに反し、生産手段を社会的所有に移した社会主義のもとでは、物質的財貨の生産、流通、分配は社会の意識的な制御のもとに置かれ、経済発展はあらかじめ作成された国民経済計画に基づいて行われると想定された。したがって、資本主義のもとでの間接的、事後的、自然成長的な資源配分と社会的分業の調整様式にかわって、経済社会全体を「一つの工場」のように組織することができる、というのが、マルクス、エンゲルスの社会主義経済像であった。そこでは、資本主義と社会主義という体制上の違いがそのまま、「市場」と「計画」という経済調整機構の原理的対立(両者の非両立性)と結び付けられていたと考えることができる。この考え方からすれば、社会主義=計画経済=非市場的経済ととらえられていたとしても、不思議ではない。[佐藤経明]

計画経済の基本問題

ソ連型の集権的な計画経済制度が成立したのは、(1)以上のような社会主義経済観、(2)革命直後の戦時共産主義の経験と、(3)とりわけ後進国における重工業・国防優先の急速な工業化戦略が資源配分の極度の集中を必要としたという歴史的事情によるものであった。意思決定が高度に集権化され、市場的要素が極度に排除されていたのがその特徴であり、その限りで古典の社会主義像に合致しているように思われた。しかしながら、集権型の計画経済は、経済水準が低く、産業構造や産業連関が比較的単純な段階ではまだしも操作可能であるが、経済が高度化し複雑化した段階では、情報処理だけから考えてみても、計画的制御は逆に困難となり、官僚主義的煩瑣(はんさ)化や効率低下といった否定的結果をもたらす。スターリン批判後の経済改革論争のなかで、この点に関してはほぼ完全な同意が得られた。
 現実の計画経済において「一つの工場」イメージが成り立たない理由は、次の4点にある。第一は不可知性で、計画当局は全知全能ではなく、経済にはつねにブラックボックス的部分が伴うが、経済の高度化、複雑化につれて、このブラックボックス的部分はむしろ増大する傾向にある。第二はデータ処理技術の不備性で、最新の数理的技法とコンピュータを駆使しても、社会の多様なニーズを盛り込んだ整合的な中央計画作成という課題を解くことはできない。第三は「複雑性」で、経済を構成しているのは、ある単一の目的で統合されたオーケストラやスポーツのチームではなく、それぞれ独自の部分的利益を追求するミクロ経済主体の「連合」であるということである。この点を無視した過剰制御は、利害の背反から、逆に経済の制御可能性を低め、浪費や非効率の源泉となる。第四に、先に触れた資源配分と効率向上という、いかなる体制にも共通する二つの課題を計画化で正しく処理するためには、計画化が正確な社会的労働計算に立脚しなければならないが、現物タームの直接労働計算は不可能であるから、価格的指標の適切な利用が不可欠となる。スターリン批判後、非市場的経済という古典の社会主義像と反対に、価格、利潤、利子といった市場経済のカテゴリーを計画経済が利用せざるをえなくなった理由は、ここにあった。計画経済における周知の浪費と非効率は、以上四つの基本問題に適切な解決が与えられていないことによるものであった。[佐藤経明]

分権的計画経済の構想

以上のように考えれば、スターリン批判後の論争と経済改革が、意思決定の分権化の問題と並んで、市場機構の利用の問題をもう一つの軸として転回してきたのは、当然というほかはない。分権的計画経済は、国民経済の構造と発展方向を決めるような重要なマクロ経済的意思決定は中央が握りながら、企業の自律性を認め、ミクロ経済活動を中央の決める「ゲームのルール」の枠内で市場にゆだねる構想にたっている。それは、中央計画によるマクロ経済的意思決定の枠組みのなかで、サブシステムとして市場機構を利用しようとするもので、資本主義への体制的接近をただちに意味するものではないとされていた。
 伝統的な集権的計画経済モデルと分権モデルとを分かつ境界線は、通常、中央計画を多数の義務的計画指標に分解して企業に下達する指令方式が廃止されるか否か、この指令方式の背骨をなしている生産財の行政的配分制が廃止されるか否か、にあると考えられてきた。この基準からすれば、ユーゴスラビアはもちろんのこと、ハンガリーも早くから境界線を越えていたが、その他の諸国は部分的分権システムないし緩和された集権制の枠内にとどまっていた。その枠内でも義務的指標の数はしだいに削減され、価格的な指標の利用がより比重を増す方向にあったが、後者は依然前者にリンクされていたのが、1980年代末の体制転換までの顕著な特徴であった。これに反しハンガリーでは、1980年代に開始された経済改革の新しい波のなかで、より市場化を強める方向をとり、他方、社会主義的市場経済といわれるユーゴスラビアでは、下からの協議システムと地方分権化の結果としての計画的制御の弱さが、1970年代末から表面化した経済困難のなかで批判の対象となり、最終的には連邦崩壊の一因ともなった。[佐藤経明]

混合経済システム

古典的な計画経済の「一つの工場」イメージは、別のことばでいうと、単一の国有・国営経済に無限に接近するのが社会主義計画経済の完成であるという考え方であったが、1980年代にはハンガリーと中国とを先頭にして、これと逆の方向で経済システムを設計しようとする注目すべき動きが進行した。農家レベルの生産責任制で事実上の小農制に移行し、経済特区・開発区を拠点とする大胆な対外開放政策を採用した中国と、ハンガリーとの間の差異は少なくなかったが、共通するのは、公有制を基本としながらも、国有(公有)企業、協同組合企業、小規模集団有企業、私企業といった多様な所有形態と、所有と経営の分離(たとえば公有企業の入札請負制)による多様な経営形態とを組み合わせ、「社会主義型の混合経済体制」を志向する動きであった。そのなかには経済活性化のためにとられた便宜的な方策もあるが、社会主義計画経済の実行可能なシステムが、こうした混合経済システムに収斂(しゅうれん)しつつあることの意味は大きかった。
 混合経済体制化で市場社会主義に接近しつつあった1980年代の流れは、論理をつきつめれば「体制転換」を内包(たとえば私的セクターの大胆な拡大の主張)していたが、直接的には1989年の東欧革命による政治体制の大転換で中断された。ソ連型の社会主義では一党制支配と指令的計画経済とは不可分であったから、前者の崩壊は同時に後者の崩壊となり、「再資本主義化」の過程がとってかわった。しかし、それにかわって現代的な、制度化された資本主義市場経済がただちに生まれるわけではないから、特異で矛盾に満ちた移行期経済の時期が20年近く続いた。中・東欧5か国のEU(ヨーロッパ連合)加盟(2004年5月)は「移行期」終了の一つの重要な里程標である。しかし、形成されつつある中・東欧諸国の資本主義には、伝統的に社会的保障にウェイトを置いた欧州型資本主義からの離反の兆候もみられ、安定した体制転換資本主義を形成したというにはほど遠いものがある。[佐藤経明]
『M・エルマン著、佐藤経明・中兼和津次訳『社会主義計画経済』(1982・岩波書店) ▽J・コルナイ著、盛田常夫・門脇延行編・訳『反均衡と不足の経済学』(1983・日本評論社) ▽J・コルナイ著、盛田常夫編・訳『「不足」の政治経済学』(1984・岩波書店) ▽J・コルナイ著、盛田常夫編・訳『経済改革の可能性』(1986・岩波書店) ▽W・ブルス、K・ラスキ共著、佐藤経明・西村可明訳『マルクスから市場へ――経済システムを模索する社会主義』(1995・岩波書店) ▽西村可明著『社会主義から資本主義へ――ソ連・東欧における市場化政策の展開』(1995・日本評論社) ▽佐藤経明著『ポスト社会主義の経済体制』(1997・岩波書店)』

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世界大百科事典内の計画経済の言及

【経済計画】より

…経済体制を資本主義社会主義とに大別すると,経済運営のしくみとして,資本主義は市場機構を用い,社会主義は計画機構を用いる。この意味で,資本主義の経済を市場経済と呼び,社会主義の経済を計画経済と呼ぶ。経済計画とは,国家が一定の目的をもって全体としての経済活動を意図的に制御しようとする試みであって,社会主義においては経済計画が不可欠である。…

【社会主義】より

…他方,その他のソ連・東欧諸国では,60年代半ばの経済改革以来,漸進的な変化は進んではいるものの,ハンガリーを除いて,このモデルからの原理的脱却はなおおこなわれていない。 1930年代にソ連で成立した社会主義計画経済制度は,極度の中央集権を特徴とするものであった。農業の個人副業(自留地)経営とコルホーズ商業(自由市場)を除いて,社会的生産物の生産,流通,分配を集権的な中央計画でカバーし,市場的な要素が極端に排除ないし抑圧されているのが,その基本的な性格をなしていた。…

【ソビエト連邦】より

…五ヵ年計画は国の工業化を目ざすと同時に,経済の計画化を目ざすものであった。ソ連はめざましい工業国となり,一元化された国営計画経済が出現した。この中で労使関係観も変化し,労働組合は相対的自立性を失って,準国家機関化した。…

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