日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲルマン部族法」の意味・わかりやすい解説
ゲルマン部族法
げるまんぶぞくほう
Volksrechte ドイツ語
Stammesrechte ドイツ語
leges barbarorum ラテン語
中世初期のフランク時代におけるゲルマン諸部族の法。ゲルマン人は2世紀後半からの民族大移動によってヨーロッパ各地に定住し王国をつくったが、ローマ法文化やキリスト教の影響を受けつつ5世紀末から9世紀にかけて彼らの慣習法を成文化した。もっとも有名なものは、フランク人の一派であるサリ支族のサリカ法典Lex Salicaである。これはフランク王国の建設者クロービスClovis(クロードウィヒChlodwig)によって、507年から511年に制定されたものとされている。その他フランク系のリブアリ支族のリブアリア法典Lex Ribuaria、バイエルン部族法典Lex Baiuwariorum、アラマン部族法典Lex Alamannorumなど数多くの法典が制定された。サリカ法典は純粋なゲルマン慣習法を伝えているとされるが、その他の部族法は大なり小なりローマ法文化やキリスト教の影響を受け、東ゴート、西ゴート、ランゴバルドなど地理的にローマに近い地方に定住した部族の法典ほど、その度合いは大きい。これらの法典は、東ゴートのテオドリック王法典を除いて、それぞれの部族構成員のみに適用される属人法であり、西ローマ帝国滅亡後に被支配者となったローマ人には別にローマ人法が制定された。部族法の内容は、刑法、訴訟法に関するものがその大部分を占め、私法的規定は少ない。やがてフランク王国の確立に伴って、これらの部族法はフランク王国の王法と対立をみせるようになった。
[佐藤篤士]
『久保正幡訳『サリカ法典』(1977・創文社)』▽『久保正幡訳『リブアリア法典』(1977・創文社)』▽『世良晃志郎訳『バイエルン部族法典』(1977・創文社)』▽『『西洋法制史料選Ⅱ 中世』(1978・創文社)』