フランスの政治家。実業家の子としてパリに生まれる。国立行政学院(ENA)を卒業。1967年下院議員となり、1972年農相、1974年内相と要職を歴任した。1974年、彼を引き立てた大統領ポンピドーの急死後の大統領選挙ではジスカール・デスタンの当選に多大の貢献をし、同年首相となった。他方、この年末にはドゴール派組織である共和国民主連合(UDR)の書記長に選ばれ、与党内の足場を確固たるものとした。1976年には大統領との意見の相違から首相を辞任するが、UDRを「共和国のための連合(=共和国連合。RPR)」に改組してその指導者となり、1977年にはジスカール・デスタン派の候補を破ってパリ市長に選ばれた。1981、1988年の大統領選挙では18%の得票で落選。1986年3月の総選挙でRPRが保守第一党となり、パリ市長在任のまま、大統領ミッテラン(社会党)のもとで首相に就任し(1986~1988)、ミッテランとのコアビタシオン(保革共存政権)を務める。1995年大統領に当選。2002年再選。2期12年間在任し、2007年5月16日の大統領任期満了に伴い退任。同年3月の時点で次期大統領選への不出馬を表明していた。対独協調路線をとり、アメリカ主導のイラク戦争に反対。退任後の活動拠点として「持続可能な発展と文明間の対話のためのジャック・シラク財団」を設立。東洋文化、日本文化への造詣が深く、親日家。1996年(平成8)に国賓として来日したほか、公私にわたり頻繁に訪日。
[平瀬徹也]
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1932~
フランスの政治家で,ド・ゴール派の共和国連合の指導者。首相やパリ市長を務めた後,社会党のジョスパン候補を敗って大統領(在任1995~2007)に就任するや,核実験の再開や移民規制など,ナショナリストぶりを発揮するが,1997年の繰り上げ総選挙で大統領与党が敗北し,ジョスパン首相との第3次保革共存で軌道修正を余儀なくされた。2002年に国民戦線のルペン候補を敗って大統領に再選。ド・ゴール派内のヨーロッパ統合派。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…西端のα星アルフェラッツ(ペガススの肩の意)は,実視等級2.1等,スペクトル型B8の白色の星で,ペガススの四辺形の一角をつくる。β星シラク(腰布の意)は2.2等,スペクトル型M0の赤色巨星である。γ星アルマク(大山猫の意)は連星系らしく2.3等,スペクトル型K3のそばに5.1等,スペクトル型A0の星がある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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