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共和国連合 きょうわこくれんごうRassemblement pour la République

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

共和国連合
きょうわこくれんごう
Rassemblement pour la République

略称 RPR。フランスの政党。いわゆるドゴール派 (→ドゴール ) 。第2次世界大戦後の挙国一致政府が崩壊したあとの 1947年4月,C.ドゴール将軍の呼びかけによって結成されたフランス国民連合の後身。ドゴールが政界復帰したあと,58年 10月に新共和国連合 UNRとして再発足し,のち共和国民主連合 UDRと改称,ドゴール体制下で圧倒的な勢力を誇った。 69年のドゴール下野後も G.ポンピドー大統領のもとで団結を維持したが,同大統領死去後の 74年5月の大統領選挙で同党公認候補の J.M.P.シャバン=デルマスが敗れ,党内シラク派の推した独立共和派の V.ジスカールデスタンが当選したことから党内の亀裂が表面化。その後 J.シラク首相の主導権のもとで党内を再編し,与党連合の大勢力となったが,シラクとジスカールデスタン大統領の対立が激化して,76年8月シラク首相が辞任してから是々非々主義をとり,76年 12月の党大会で共和国連合と改称。対外政策,国防面でのフランスの独立維持,第五共和政の擁護と行政権の安定,経済成長と「参加」による社会政策推進など,いわゆるドゴール主義の継承発展を党是としていたが,シラクの実権掌握以後保守化傾向を強めていった。 81年の大統領選挙と総選挙ではともに社会党に惨敗したが,86年3月の総選挙では勢力を盛返し,シラク総裁が首相に就任し保革共存政権が誕生した。 93年の選挙ではフランス民主連合 UDFと組んで圧勝。 E.バラデュール首相が誕生した。 95年5月の大統領選挙で社会党候補を破りシラクが当選,A.ジュペが首相となった。だがジュぺ内閣は失業対策で批判を浴び,97年6月の総選挙では社会党に政権を奪われ,シラク大統領のもとで社会党の L.ジョスパン首相による3度目の保革共存政権が成立した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

共和国連合
きょうわこくれんごう
Rassemblement pour la rpublique

略称RPR。フランスの保守勢力、ドゴール派の政党。
 第四共和政期の1947年に結成されたドゴール派政治組織「フランス国民連合Rassemblement du peuple franais」と1953年に結成された「共和主義社会行動連合Union des rpublicains d'Action sociale」を前身とする。第五共和政憲法が国民投票で可決された直後の1958年10月1日に、旧来のドゴール派政治指導者、シャバン・デルマス、スーステルらによって結成された政党で、当初、新共和国連合Union pour la nouvelle rpublique(UNR)と名のり、第五共和政与党の中核となった。この党はドゴール左派政治グループの労働民主連合Union dmocratique du travail(UDT)と、1967年6月のリール市での第4回全国大会で合同を果たし、第五共和政民主連合Union des dmocrates pour la e rpublique(UDR)として新たに出発した。ドゴール、ついでポンピドー亡きあとの1976年12月5日の臨時党大会で、新しい党首にシラクを選び、党名を共和国連合と変更して新しい体制を打ち立てたが、1981年の大統領選挙と総選挙で社会党に敗れ、与党の地位を譲り渡した。
 2期目の大統領ミッテランのもとでは1986年と1993年にフランス民主連合Union pour la dmocratie franaise(UDF)と連合してそれぞれシラク内閣とバラデュール内閣を樹立し、左翼大統領のもとでの右翼内閣というコアビタシオン(保革共存体制)を現出させた。1995年にはRPR議長シラクが僅差(きんさ)で社会党のL・ジョスパン(1937― )を破って大統領に当選し、RPRから19年ぶりの大統領を出した(2002年再選)。しかし彼が指名したRPR新議長アラン・ジュペ(1945― )首相のフランス経済に自由競争を導入し、勤労者の社会保障制度を弱体化させる政策は、労働攻勢による反撃にあい、1997年の選挙で敗れて右翼大統領の下での左翼首相=内閣という逆のコアビタシオンが生じた。
 ジュペ退陣後、党議長にはフィリップ・セガン(1943―2010)が就任したが1999年辞任。代行に選ばれたニコラ・サルコジ(1955― )も同年に辞任し、12月ミシェル・アリヨマリ(1946― )が初の女性党首となった。アリヨマリは2002年発足のラファラン内閣の女性初の国防相に任命され、党首をセルジュ・ルペルティエ(1953― )に委譲した。
 次代の共和国連合を担うサルコジは、シラクの共和国連合内の対立候補エドゥアール・バラデュール(1929― )を支持したために冷遇され、1999年のヨーロッパ議会選挙にも惨敗し、一時国政から離れる。しかし2002年総選挙で右派候補最高得票を得てピュトー~ヌイイ・シュル・セーヌ選挙区から当選を果たし、2002年大統領選ではシラクを支持して、ラファラン内閣の内務大臣の座を得た。
 この大統領選挙に際してシラクは「大統領多数派同盟」を結成し、間もなくフランス民主連合から独立したアラン・マドラン(1946― )の自由民主(ジスカール・デスタンの共和党を受け継いでいた)と共和国連合を併せて国民運動連合UMPを結成した。この保守・保守中道の一大政治組織には、長らく同じ保守派のライバルであったフランス民主連合からも3分の2の議員が結集した。フランス民主連合に残ったのはキリスト教民主派のフランソワ・バイル(1951― )などであったが、2007年大統領選に立候補したバイルは、彼が主導権を握る民主運動に同連合を事実上合併した。
 一方2004年9月に次の大統領選への出馬を表明したサルコジは、同年11月の党大会で民衆運動の議長に圧倒的多数で選ばれた。翌年にはドゥ・ヴィルパン内閣の副首相格の内相・国土相となり、大臣としての実績と民衆運動議長という組織力を背景に2007年大統領選挙で勝利を収めた。当選後彼は民衆運動議長の職務を辞任した。
 ドゴール派のイデオロギーは、威信と栄光のある国家フランスを再建し、かつ維持すること、強力な個人権力に基づく政府の樹立を目ざすこと、法と秩序の枠内で個人の尊厳と自由を尊重し集産主義(社会主義的な共同の統制機関による社会の組織を求める考え)を脅威とすることなどの原理を基調としている。[横山謙一]

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世界大百科事典内の共和国連合の言及

【独立共和派】より

…74年ド・ゴール体制を受け継いでいたポンピドゥー大統領の急死によって行われた後任選挙で,ジスカール・デスタンが左翼統一候補ミッテランを決選投票でわずかに上回って当選,ド・ゴール派とともに与党を形成した。しかしド・ゴール派が76年に首相を辞任したJ.シラクを中心に共和国連合(RPR)を形成,これに対し独立共和派は77年共和党を,78年には民主社会中道派や急進党とフランス民主連合(UDF)を結成して与党内の主導権保持に努めた。しかし,81年5月の大統領選挙で社会党のミッテランが当選した結果,野に下った。…

※「共和国連合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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