ロシア,モスクワ生れの作家,批評家。モスクワ大学卒業後,科学アカデミー付属ゴーリキー記念世界文学研究所員となり,モスクワ大学で教鞭をとる。1951年父親が反革命容疑で逮捕され,このころから思想的にマルクス主義を離れる。国内では58年から主として現代ロシア詩に関する論文を発表,公式的文学路線に抗して1920年代の文学伝統回復に努める。同時に59年以後国外で,評論《社会主義リアリズムとは何か》(1956),中編小説《審問》(1956),《リュビーモフ》(1962-63),アフォリズム集《思わぬ閃き》(1966)などをアブラム・テルツの筆名で発表。これが当局に知られ,65年8月友人の作家ユーリー・ダニエル(筆名ニコライ・アルジャク)とともに逮捕され,66年2月強制労働7年(ダニエルは5年)の刑を宣告される。この裁判記録は非合法に国外へ持ち出され(ギンズブルグの《裁判白書》など),自由な創造への弾圧として世界の世論を喚起した。71年釈放後はモスクワ居住を許されず,73年パリ大学講師として招かれフランスへ亡命。その後の著作としては,収容所から妻にあてた手紙の集成である《合唱の中の声》(1973),評論《プーシキンとの散歩》《ゴーゴリの影に》(ともに1975),物語《小人ツォレス》(1980)などがある。78年よりロシア語の雑誌《シンタクシス》を妻と協同で編集。
執筆者:青山 太郎
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ロシアの作家、批評家。モスクワ生まれ。ゴーリキーの研究で学位を得、モスクワ大学などで教鞭(きょうべん)をとり、『革命初期の詩、1917―20』(1964)を著した。この間、フランスでアブラム・テルツの変名で『社会主義リアリズムとは何か』(1956)、短編『プヘンツ』(1965?)などを発表したため、65年、友人のダニエルとともに逮捕され、翌年7年の刑を宣告され、服役した。釈放後73年にはフランスへ亡命、パリ大学講師、教授を務める。その後の作品には『合唱の中の声』(1973)、『小人ツォレス』(1980)などがある。作品は幻想芸術に依拠し、スターリニズム批判に貫かれている。ペレストロイカ以後、ソ連でも再評価され、89年に一時帰国した。97年フランスで死去。
[工藤正広]
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…すでに60年代はじめから自らの主張をタイプ・コピーで広めること(サミズダート),広場で朗読集会を開くこと,国外で作品を発表することは始まっていた。この面での最初の衝突は66年2月10~14日のダニエル=シニャフスキー裁判である。作家Yu.M.ダニエルとゴーリキー世界文学研究所員シニャフスキーはペンネームで国外で作品を発表したが,これが〈反ソ宣伝〉だとして刑法70条違反に問われ,自由剝奪5年および7年の判決を受けた。…
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