シャリバリ(その他表記)charivari

翻訳|charivari

改訂新版 世界大百科事典 「シャリバリ」の意味・わかりやすい解説

シャリバリ
charivari

〈シャリバリ〉というフランス語の語源は明らかでないが,共同体の伝統的規範を侵犯した者に対し,儀礼化したやり方で罰を加える行為であって,中世から19世紀に至るまで,広くヨーロッパ各地に見られた。英語では〈ラフ・ミュージックrough music〉,ドイツ語では〈カッツェンムジークKatzenmusik〉,イタリア語では〈スカンパナーテscampanate〉などと呼ばれている。シャリバリの対象として最も多く見られるのは,再婚をめぐっての事例であり,男やもめと若い娘とか,若者と年齢がかけ離れた寡婦といった組合せで,しかも一方よそ者の場合など,あつらえむきのシャリバリの対象であった。村内婚が支配的であったこの時代にあって,村の若い男女の間の結婚の機会を奪うものであったからである。再婚の事例のほか,不義を犯した妻,間男された亭主,亭主をなぐったじゃじゃ馬女房なども,シャリバリに狙われるところとなった。共同体の規範を守る役目は若者の手にゆだねられることが多かったから,シャリバリにおいても若者組が中心的な役割を果たす。その方法としては,相手の家の窓下に押しかけ,一晩中角笛を吹き鍋釜を打ち鳴らすとか,ロバの背に乗せ,大騒ぎをしながら村中ひきまわすといった形がとられた。懲罰はこうして共同体内に公示されるのである。シャリバリの対象となった者は,結局のところ,若者組に罰金を支払うほかはなく,この懲罰を受けることによって初めて,村や町の共同体のメンバーとして受け入れられるのである。
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シャリバリ
Le Charivari

19世紀フランスで刊行された絵入り風刺新聞。1832年より93年まで続いた。すでに1830年に政治風刺の週刊誌《カリカチュールLa Caricature》を創刊していた素描家フィリポンCharles Philipon(1806-62)によって刊行され,グランビル,ドーミエ,ガバルニ,シャムCham(1819-79)などの優れた素描家の手で風刺漫画が描かれた。とりわけ七月王政期に,反ルイ・フィリップのキャンペーンで幾度も検閲の対象となり,二月革命(1848)の世論をつくり上げるのに貢献した。その後は政治的には中道へ向かったが,文明批評の鋭さは失わなかった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャリバリ」の意味・わかりやすい解説

シャリバリ
Le Charivari

1832年 12月1日に風刺版画家の C.フィリポンによって創刊されたフランスの風刺新聞。 93年まで発行されたが,当初は国王ルイ・フィリップへの政治的攻撃を主とし,特に石版風刺画にドーミエの寄稿を得たことで名高い。『ラ・カリカチュール』紙の発禁後からドーミエは 25年間にわたって,同紙に『ロベール・マケール』その他の石版画連作を発表した。

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世界大百科事典(旧版)内のシャリバリの言及

【ドーミエ】より

…少年時代は生活のために働きながら絵や石版術を学んだ。ルイ・フィリップを洋梨になぞらえたフィリポンCharles Philipon(1804‐62)が主宰している風刺雑誌《カリカチュール》,《シャリバリ》を舞台に,シャルレNicolas Toussaint Charlet(1792‐1845),トラビエCharles‐Joseph Traviès(1804‐59),ドベリアAchille Deveria(1805‐59)らと共通する様式の石版風刺画家として声価を確立する。その契機となったのは洋梨風の国王を貪欲な巨人に見たてた《ガルガンチュア》(1830)で,このため6ヵ月の入獄と罰金が科された。…

※「シャリバリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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