日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュタウディンガー」の意味・わかりやすい解説
シュタウディンガー(Hermann Staudinger)
しゅたうでぃんがー
Hermann Staudinger
(1881―1965)
ドイツの有機化学者で、高分子化学の創設者。新カント派の哲学者を父として3月23日にウォルムスで生まれた。シュタウディンガーは、同地のギムナジウムを卒業したときには、植物学を志していたという。しかし当時のドイツは世界の化学とくに有機化学の中心であった。彼はミュンヘンで大有機化学者アドルフ・フォン・バイヤーの教えを受けて化学者の道を選ぶことになった。そして1905年、シュトラスブルクのティーレのもとで助手をしているときに発見したきわめて興味ある物質「ケテン」は一躍学界の注目を集めた。わずか24歳のときである。こうして彼は1907年、26歳の若さでカールスルーエ工業大学の教授となった。カールスルーエ時代の弾性ゴムの研究は、やがて化学の新領域「高分子化学」樹立の道へと彼を導くことになる。彼はケテンに関する約60編に及ぶ大研究をまとめ、1920年ごろからは本格的に高重合体(今日の高分子)の研究に入った。
当時ドイツの学会では弾性ゴムやセルロース、タンパクなどの化学構造に関し、まったく違う二つの立場の人々が論争を展開していた。一つはいわゆる低分子説で、ヘスKurt Hess(1888―1961)、ハリエスC. Harries(1866―1923)らをリーダーとするものである。低分子論者によると、ゴムやセルロースは比較的小さな分子量の環状化合物が多数コロイド状に「会合」あるいは「凝集」したものである。一方シュタウディンガーやフロイデンベルクK. Freudenberg(1886―1983)は、これらの物質はきわめて多数の原子が、エタン分子内の結合力と同じ一次結合(今日の共有結合による化学結合)で長鎖状に連結した巨大分子であると考えた。そして1926年の学会はヘスらの低分子論者の圧倒的優勢裏に終結したが、そのわずか4年後、1930年のドイツ・コロイド学会では低分子論者はまったく孤立し、ほぼすべての有機化学者がシュタウディンガーらの高分子説を支持するようになった。これはまさにコペルニクス的転回に近い劇的な転換であった。シュタウディンガーの長い闘いは約30年ののち、1953年のノーベル化学賞によって報いられた。そのとき彼はすでに73歳であった。シュタウディンガーの高分子説は1930年代、アメリカのカロザースによる合成ゴム「ネオプレン」、合成繊維「ナイロン」の成功により確固たる地位を得て、今日のプラスチック時代を開いたのである。1957年(昭和32)来日した。1965年9月8日フライブルクで死去。
[中川鶴太郎]
シュタウディンガー(Franz Staudinger)
しゅたうでぃんがー
Franz Staudinger
(1849―1921)
ドイツの哲学者、社会学者。ウォルムス、ダルムシュタットの高等学校(ギムナジウム)教授。新カント学派に属し、カントの倫理学説によって社会主義に道徳的基礎を与えることに努めた。主著『道徳の経済的基礎』(1907)において、社会関係を、策略と暴力とに基づく物理的関係、自己利益に基づくゲゼルシャフト関係、共通目的目ざしての自発的協力たるゲマインシャフト関係の三つに分け、ゲマインシャフト関係が上位にたつ社会こそ真に道徳的であり、社会主義が建設の目標にしなければならないものであると説いた。またこの見地から、労働者の自発的互助組織としての生活協同組合運動を理論的、実践的に指導した。
[森 博 2015年2月17日]