ピンター(読み)ぴんたー(英語表記)Harold Pinter

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピンター」の意味・わかりやすい解説

ピンター
ぴんたー
Harold Pinter
(1930―2008)

イギリス劇作家。ユダヤ人の仕立屋の子としてロンドン下町に生まれる。しばらく俳優学校で学んだのち、地方巡業を続けながら多くの詩や小説を書き、一幕物『部屋』(1957)によって劇作活動に入った。とらえがたい過去が現在の生活を破壊するありさまを描いた最初の多幕物『バースデイ・パーティ』(1958)は興行的には失敗したが、一つの場所をめぐる穏微な争いを扱った『管理人』(1960)によって名声確立。以来、『帰郷』(1965)、『風景』(1968)、『沈黙』(1969)、『昔の日々』(1971)、『誰(だれ)もいない国』(1975)、『背信』(1978)など、時間に支配される存在としての人間と人間の記憶の不確かさとを中心にすえた一連の作品によって、第二次世界大戦後のイギリスのもっとも興味ある劇作家とみなされるに至った。この間、ラジオやテレビのために『かすかな痛み』(1959)、『コレクション』(1961)、『恋人』(1963)、『地下室』(1967)などを執筆。これらはいずれもその後に舞台化された。1980年代以後は政治的関心を表面に出すようになり、『景気づけに一杯』(1984)、『山の言葉』(1988)、『パーティの時間』(1991)などによって、全体主義体制の暴力を厳しく批判した。他方、過去を幻想的に扱った『家族の声』(1981)、『いわばアラスカ』(1982)、『月の光』(1993)などを並行して発表したが、『灰から灰へ』(1996)では、両者の傾向がうまく融合している。彼の劇は日常的状況のなかに潜む不条理を摘出して恐怖感と滑稽(こっけい)感を同時に醸し出すところに特色があり、沈黙を多用する凝縮された文体によって、一種の劇場詩をつくっている。映画シナリオの執筆も多い。演出家としても精力的に活動し、また1990年代には、自らの旧作上演に際してしばしば俳優として舞台に立った。反戦活動でも知られ、1999年の北大西洋条約機構(NATO)軍によるユーゴスラビア空爆や、2003年に起きたイラク戦争では反対の立場をとっていた。2005年ノーベル文学賞受賞。

[喜志哲雄]

『小田島雄志・喜志哲雄・沼澤洽治訳『ハロルド・ピンター全集』全3巻(1977・新潮社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピンター」の意味・わかりやすい解説

ピンター
Pinter, Harold

[生]1930.10.10. ロンドン
[没]2008.12.24. ロンドン
イギリスの劇作家。ユダヤ系ポルトガル人の家に生まれた。初め俳優を志したが,1956年から執筆活動を開始。初の戯曲『部屋』The Room(1957)で注目され,『バースデー・パーティ』The Birthday Party(1958),『管理人』The Caretaker(1960)など,日常のありふれた会話にひそむ危機を浮き彫りにし,閉ざされた空間に外界からの脅威が迫る様子を恐怖感と滑稽感を漂わせて描いた作品によって劇作家としての地位を確立。斬新なことば,沈黙と間の多用を特徴とする「ピンタレスク」と呼ばれる手法で,現実を論理的説明抜きで描き,イギリスにおける不条理演劇の第一人者といわれた。他の作品に『帰郷』The Homecoming(1965),『昔の日々』Old Times(1971),『パーティ・タイム』Party Time(1991)など。1970年代以降は演出にも携わり,さらに詩や小説,映画『フランス軍中尉の女』The French Lieutenant's Woman(1981)のシナリオなども手がけている。1970年代からは人権活動家としても活躍。1966年大英帝国三等勲功章 CBE,1996年ローレンス・オリビエ賞,2002年名誉勲爵士の称号,2005年ノーベル文学賞,2007年レジオン・ドヌール勲章を受けた。

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