ジェミエ(その他表記)Firmin Gémier

改訂新版 世界大百科事典 「ジェミエ」の意味・わかりやすい解説

ジェミエ
Firmin Gémier
生没年:1869-1933

フランスの俳優,演出家。場末の劇場での修業の後,1891年に自由劇場に加わり《ブーブロッシュ》のアンドレ役などで成功し,オデオン座に招かれる一方,制作座で《ユビュ王》(1896)を演じたのをはじめとして,第1次大戦前にシェークスピアから現代劇までの約200の役をこなして芸域の広さと奔放な演技名声を得る。この間,1907年から14年までアントアーヌ座を主宰し,11年には37台の貨車によって劇場ごと移動する〈国立巡業劇団〉を結成して,演劇の地方分散に先鞭をつける。20年にG.バティの協力を得て,既成の劇場の枠を取り払った祭典的なマスの演劇をサーカス小屋で試み,同時に〈国立民衆劇場〉の設立議会に承認させる。21年から30年までオデオン座の劇場長として幅広い演目によってこの国立第二劇場の若返りをはかり,晩年には世界演劇協会とその主催による国際演劇祭を構想した。これらはいずれも第2次大戦後に実現する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジェミエ」の意味・わかりやすい解説

ジェミエ
じぇみえ
Firmin Gémier
(1869―1933)

フランスの俳優、演出家。アントアーヌ、リュネ・ポーと並ぶ、第一次世界大戦前のフランス近代劇史における三巨頭の一人。オーベルビリエに生まれ、早くから俳優を志す。1887年アントアーヌに紹介され自由劇場で端役をつとめるが、92年から正式に参加、96年に制作座でジャリの『ユビュ王』を演じ、名声を得た。ロマン・ロランに影響された彼は、演劇に社会的な広がり、民衆の祭典を夢みて、移動劇場を実現し、演出上の刷新も図った。1920~33年はTNP(テーエヌペー)(国立民衆劇場)の初代監督、同時に21~30年はオデオン座の芸術監督を務め、世界演劇協会を設立するなど、広い視野で演劇活動を展開した。

[加藤新吉]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジェミエ」の意味・わかりやすい解説

ジェミエ
Gémier, Firmin

[生]1869.2.21. オベルビリエ
[没]1933.11.26. パリ
フランスの俳優,演出家。貧しい商家に生れ,1887年自由劇場で端役として初舞台を踏んだ。 88~90年ベルビル劇場に出演,92年あらためて自由劇場に加わり,96年制作座で『ユビュ王』を初演,ルネサンス座,アントアーヌ座で『アンナ・カレーニナ』『ベニスの商人』などを演じ大当りをとる。 1910年国立巡業劇団,20年に国立民衆劇場を設立,サーカス小屋で群衆劇などを上演して話題を呼び,21年から 30年までオデオン座の座長をつとめた。

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世界大百科事典(旧版)内のジェミエの言及

【国立民衆劇場】より

…略称TNP。初代の責任者はジェミエFirmin Gémier(1865‐1933)。しかし,彼の存命中も死後もほとんど有名無実で,この劇場と劇団がその名にふさわしい活動を始めたのは51年,J.ビラールが新統率者に任命されて以来のことである。…

※「ジェミエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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