バティ
Gaston Baty
生没年:1885-1952
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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バティ
ばてぃ
Gaston Baty
(1885―1952)
フランスの演出家。リヨン近郊のカトリック信仰に厚い旧家に生まれる。リヨン大学卒業後、ミュンヘン大学に留学して芸術史を学び、ラインハルト、メイエルホリドなどの演出法や、クレイグ、アッピアの演劇理論に共感。1919年ジェミエの演出助手となり、翌年パリのサーカス劇場で民間伝承の劇化『大田園劇』を演出、22年独立して劇団「幻想の仲間」を創設。友人シモン・ガンティヨンの『娼婦(しょうふ)マヤ』で大成功を博し、30年モンパルナス座に本拠を移す。後年同劇場はモンパルナス・ガストン・バティ座といわれた。照明など舞台造形面を重視し、ルイ・ジューベらと「4人連盟(ル・カルテル・デ・カトル)」を組み、新演劇活動の一翼を担った。
[石澤秀二]
『ガストン・バティ著、坂丈緒訳『演劇の真髄』(1942・白水社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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バティ
フランスの演出家。リヨン大学からミュンヘンに遊学。ラインハルトの影響をうけ,スペクタクル性と音楽性の濃い演劇を唱道,コポー,ジュベなどの戯曲第一主義と対立した。《罪と罰》《ボバリー夫人》など脚色多数。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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バティ
Baty, Gaston
[生]1885.5.26. ペリュサン
[没]1952.10.13. ペリュサン
フランスの演出家。ドイツでフリッツ・エルラーらに学び,表現主義の影響を受けてパリに帰り,F.ジェミエに見出されて,1919年「大田園劇」などをサーカス小屋で上演。その後シャンゼリゼ座を経て,劇団シメーヌを設立,『娼婦マヤ』や『ボバリー夫人』で舞台装置,照明,音楽の効果を重視するすぐれた演出を行なった。晩年には郷里の南フランスで人形劇の再興に尽した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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普及版 字通
「バティ」の読み・字形・画数・意味
【馬
】ばてい
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のバティの言及
【サモス[島]】より
…東西に長く(45km),西に行くほど山が深くて高い。北岸のバティとカルロバシ,南岸のピタゴリオ(最近までティガーニと呼ばれていたが,古代の哲学者ピタゴラス出身の故郷として改名された)がおもな港で,ピタゴリオが古代のサモス市にあたる。オリーブ,ブドウの栽培が盛んでサモス産ブドウ酒は有名である。…
【フランス演劇】より
…
【20世紀】
20世紀フランス演劇をその変革の相においてとらえれば,大別して三つの時期を認めることができる。第1は,1913年,J.コポーによる〈ビユー・コロンビエ座〉創設から,両大戦間におけるL.ジュベ,C.デュラン,G.ピトエフ,G.バティの4人の演出家による〈カルテル四人組〉の時代,第2は,J.L.バローによるカルテルの遺産の発展と並行して50年代に起きる三つの事件,すなわちJ.ビラールによる〈民衆演劇運動〉と〈演劇の地方分化〉の成功,E.イヨネスコ,S.ベケット,A.アダモフ,J.ジュネらの〈50年代不条理劇〉の出現,そして〈ブレヒト革命〉であり,第3の時期は,68年のいわゆる〈五月革命〉によって一挙に顕在化した社会的・文化的危機の中で,演劇が体験した一連の大きな〈異議申立て〉(A.アルトーの徴の下に広がった〈肉体の演劇〉を中核とする)とその結果である。
[演出家の時代――コポーと〈カルテル四人組〉]
演出家で集団の指導者をフランス語でアニマトゥールanimateurと呼び,20世紀を〈アニマトゥールの世紀〉と称するが,[コポー]はアニマトゥールの枠組みそのものを提示した人物である。…
※「バティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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