日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジジェク」の意味・わかりやすい解説
ジジェク
じじぇく
Slavoj Žižek
(1949― )
スロベニアの思想家。当時のユーゴスラビアのリュブリャナに生まれる。1979年よりリュブリャナ大学社会学・哲学研究所(1992年から社会科学研究所)研究員。ラカン派精神分析の立場からドイツ観念論とりわけヘーゲルの読み直しを行い、その成果を利用してマルクス主義のイデオロギー理論を刷新、全体主義やシニシズムといったイデオロギー現象の解明に寄与する。1981年にリュブリャナ大学大学院博士課程修了後フランスのパリ第八大学に留学、ラカンの後継者ジャック・アラン・ミレールJacques-Alain Miller(1944― )のもとでヘーゲル論「最も崇高なヒステリー症者ヘーゲル」Le plus sublime des hystériques; Hegel passe (1988)により学位を取得。同年ラカンの基本概念をアルフレッド・ヒッチコックの映画を用いて説明しながら、同時にラカン理論によってヒッチコックを分析する編著『ヒッチコックによるラカン』(1988)をフランスで出版し、一躍有名になる。以後、『否定的なもののもとへの滞留』(1993)、『為すところを知らざればなり』(1996)、『幻想の感染』(1997)など話題作を立て続けに発表、「現代思想」を代表する理論家としての地位を確固たるものにする。
1950年代後半にラカンが、母子間の双数的な「想像的」関係から「父の名」の侵入を経て「象徴的な」言語的秩序へ、というそれまでの理論展開を放棄したことを重視し、ラカンをもっぱら「現実的なもの」(あらゆる象徴化に抵抗する核にしてそれを支える基盤)の理論家として読むところにジジェクの特徴がある。ローティやリオタールなどの「ポスト・モダニズム」の言説とラカン理論の差異を強調し、ラカンは前者の相対主義を批判する視点をあらかじめ提出していたと説く。代表作『イデオロギーの崇高な対象』(1989)では、イデオロギーの役割は(個人の)主体化とそれを通じた生産様式の再生産にあるとするアルチュセールのイデオロギー論の補完、修正を試み、イデオロギーを主観的な表象ではなく客観的な行為の次元に属するもの、現実の社会関係を構造化することで「現実的なもの」を隠蔽(いんぺい)する機能を果たすものととらえる見方を提出した。著書では好んで推理小説やSF映画といった大衆文化を取り上げるが、それはあくまでラカンやヘーゲル、マルクスなどの難解な概念を説明し大衆化するために行われているのであり、文化の果たす機能や文化がどのように形成されたかを研究するカルチュラル・スタディーズとは分析の意図および手法を異にする。「差異への権利」を求める運動や多文化主義(マルチカルチュラリズム)といった思想傾向をグローバル資本主義を補完するものとして批判、コソボ紛争とユーゴスラビア爆撃、アフガニスタン侵攻やイラク戦争などの現実的な問題に関しても積極的な発言を行っている。社会主義体制下のユーゴスラビアで反体制派知識人として民主化運動に加わり、指導的な役割を演じたことは有名だが、1991年のユーゴスラビア解体後は理論的活動に専念しているものの、その視線は一貫して政治的である。ラディカル・デモクラシー論(シャンタル・ムフChantal Mouffe(1943― )らを代表とする、多元的でリベラルな社会の実現をめざす運動。社会的敵対関係の還元不可能性を前提としたうえで、その無害化を図る)やフェミニズムとの批判的交流を通じて、民主主義の再生の道を模索している。
[澤里岳史 2015年11月17日]
『露崎俊和他訳『ヒッチコックによるラカン――映画的欲望の経済』(1994・トレヴィル)』▽『鈴木一策訳『為すところを知らざればなり』(1996・みすず書房)』▽『酒井隆史・田崎英明訳『否定的なもののもとへの滞留――カント、ヘーゲル、イデオロギー批判』(1998・太田出版/ちくま学芸文庫)』▽『松浦俊輔訳『幻想の感染』(1999・青土社)』▽『鈴木晶訳『イデオロギーの崇高な対象』(2000・河出書房新社)』▽『Slavoj Zizek ed.Mapping Ideology(1994, Verso, London)』▽『エルネスト・ラクラウ、シャンタル・ムフ著、山崎カヲル・石澤武訳『ポスト・マルクス主義と政治』(1992/復刊新版・2000・大村書店)』▽『アレンカ・ジュパンチッチ著、冨樫剛訳『リアルの倫理――カントとラカン』(2003・河出書房新社)』