日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジャーディー」の意味・わかりやすい解説
ジャーディー
じゃーでぃー
Jon Adams Jerde
(1940―2015)
アメリカの都市計画家、建築家。1964年、カリフォルニア大学バークリー校建築学科卒業。1977年、ジャーディー・パートナーシップ設立。イタリアの山岳都市を主要なモチーフとしながら、異国に旅しているようなイメージをコンセプトに、多くの商業施設を手がける。その後ジャーディー・パートナーシップ・インターナショナルとして、世界各地で仕事を展開した。
1977年、カリフォルニア州サン・ディエゴのダウンタウンを再生させ、「ホートン・プラザ」として、オープン形式の大規模なショッピング・モールを計画した。ここではポスト・モダン風の疑似ヨーロッパ的な商業複合施設を計画することで、それまでは困難だった都市再開発を成功させ、集客力をもつ場所へと生まれ変わらせた。そしてそれ以降、同様の手法で都市開発や商業施設のデザインに手腕を発揮するようになる。初期および中期の代表作としては、ロサンゼルス・オリンピック会場計画(1984)、ユニバーサル・シティウォーク(1992、ロサンゼルス)などがある。
1990年代後半に入ると、都市再生の動きとも連動して、日本でも多くの商業施設を手がけるようになる。その代表例としてはキャナルシティ博多(1996、福岡市)、カレッタ汐留(しおどめ)(2002、東京)、「ラ・チッタデッラ」(2002、神奈川県川崎市)などがある。キャナルシティ博多やカレッタ汐留は、いずれも「渓谷」をイメージとして、人々が行きかうにぎやかな空間の演出に力点を置き、高い集客効果をねらった構成となっている。また、ラ・チッタデッラも、「丘の上につくられたイタリアの都市」というコンセプトのもと、不規則に並ぶ擬洋風の建物の間に石畳の路地が敷かれ、街中を歩くような気もちにさせることで集客効果と商業効果をねらったものとなっている。
2003年(平成15)には、これまでにない規模の都市型再開発プロジェクトである六本木ヒルズ(東京)において、ほかの外国人建築デザイナーと協同しながら建物と建物の狭間をなす低層部の空間のデザインを行った。商業主義を徹底させ、地域の文脈を無視して都市そのものをテーマパーク化しようとするそのデザイン手法には、識者の間でも批判や疑問はある。しかしながら、レム・コールハースなどはジャーディーの方法論に強い関心を寄せており、都市の活性化という観点からみれば、決して看過できない部分も含んでいる。そうした時代の要請ゆえか、日本では北海道から九州に至るまで、ジャーディーによって再生を試みられた地域が急速に増えた。
[南 泰裕]
『五十嵐太郎著『終わりの建築/始まりの建築』(2001・INAX出版)』▽『「六本木ヒルズ――大広場や商業空間でにぎわいを高める」(『日経アーキテクチュア』2003年6月9日号所収・日経BP社)』