日本大百科全書(ニッポニカ) 「スカルパ」の意味・わかりやすい解説
スカルパ
すかるぱ
Carlo Scarpa
(1906―1978)
イタリアの建築家。ベネチア生まれ。卓抜した細部の意匠技術により、歴史的に価値のある古い建築物を改修する仕事を多数行う。研究者として出発する以前に、建設現場で施行監理者としての職についた。1922年、建築家ビンチェンツォ・リナルドVincenzo Rinaldo(1867―1927)の事務所において協働した後、1923年より施工監理者としての最初の仕事につく。王立ベネチア美術アカデミーで建築製図の教授の資格を取得し、1926年、王立ベネチア建築大学教授グイド・チリリGuido Cirilli(1871―1954)の助手となる。
スカルパの意匠技術の幾何学は、近代建築に多くみられる還元主義的なアプローチを拒否している点に特徴がある。そのため近代建築のなかでは極めて装飾的にみえるが、それらはヨーロッパでもひときわ豊かな伝統に恵まれたイタリア、なかでも街全体が一つの建築物であるといえるようなベネチアにスカルパが生まれ育ったことと無関係ではない。また、その作品はル・コルビュジエに「これは美しすぎて建築ではない」と評された。
スカルパは、鉄や大理石や木、銅、ガラスといった素材に対する類(たぐ)いまれな洞察と理解をもち、ほとんどそれらに取りつかれているかのようでもあった。とくにガラスには造詣が深く、1933年から1947年の間、ベネチアン・ガラスの工房の芸術責任者を務める。この間、スカルパは何百もの貴重なガラス工芸品を制作。それらが多数の国際的な装飾デザイン雑誌などに頻繁に取り上げられるようになる。
その後スカルパは、ガラス工芸から本格的な家具製作の伝統的技術へと関心を移す。多くの家具を製作した後、1968年、後にドージェとよばれるテーブルを製作。クリスタル・ガラスの天板をもち、光沢絹目仕上げの鉄製フレームによって支えられたそのテーブルは、イタリア・デザイン界の一つの頂点として歴史に名を刻み込むものとなる。
1962年、カステルベッキオ美術館(ベローナ)の改修設計に対し、建築雑誌『IN-ARCH』の建築部門国内賞を受賞する。
1978年(昭和53)、日本を来訪中に仙台にて死去。自身の代表作の一つでもあるブリオン家の墓(1975、ベネチア)の近くに葬られる。墓標は、同じく建築家である息子のトビア・スカルパTobia Scarpa(1935― )の設計による。生前、カルロ・スカルパは日本に二度訪れた。また、イタリア人現代音楽家のルイージ・ノーノによって「無限の可能性をもった建築家カルロ・スカルパに寄せて」と題する曲が1984年に作曲されている。
[堀井義博]
『『カルロ・スカルパ』(『a+u』1985年10月臨時増刊・エー・アンド・ユー)』▽『二川幸夫編『GA Document 21――カルロ・スカルパ Carlo Scarpa Selected Drawings』(1988・エーディーエー・エディタ・トーキョー)』▽『A・F・マルチャノ編、浜口オサミ訳『カルロ・スカルパ』(1989・鹿島出版会)』▽『『現代の建築家 カルロ・スカルパ(2)――カルロ・スカルパ図面集』(1993・鹿島出版会)』▽『齋藤裕著『建築の詩人 カルロ・スカルパ』(1997・TOTO出版)』▽『Bianca Albertini, Sandro BagnoliCarlo Scarpa; Architecture in Details (1988, MIT Press, Cambridge)』▽『Francesco Dal Co, Giuseppe Mazzariol ed.Carlo Scarpa; The Complete Works (2002, Rizzoli, New York)』