日本大百科全書(ニッポニカ) 「スコット・ヘロン」の意味・わかりやすい解説
スコット・ヘロン
すこっとへろん
Gil Scott-Heron
(1949―2011)
アメリカの社会派黒人シンガー。また、詩人としても1970年代から1980年代にかけて活躍した。1984年に出した「リ・ロン(Re-Ron)」(当時の大統領レーガンを皮肉った曲)が、1990年代に入って若いラッパーによって紹介され、それまでのヒット・メーカーとは異なる視点から注目を浴びた。
生まれはシカゴだが、両親の離婚で少年時代を祖母と南部で過ごす。スコット・ヘロンはこの時、差別とはいかなるものかを実体験として知ったという。その後、ニューヨークへ出て母親と暮らすようになる。13歳で初めての詩集をまとめ、プロ・ミュージシャンになる前には『ザ・バルチャー』The Vulture(1968)という小説も書き上げ高く評価された。
1970年、彼の詩作をもとにしたデビュー・アルバム『スモール・トーク・アット・125&レノックス』が発売され、ジャズやファンク・ミュージックをブレンドした音楽をバックにして、時に詩を語り、時に歌うスコット・ヘロンのスタイルは一部の人々から圧倒的な支持を得た。このアルバムの題名は、ニューヨークの黒人街、ハーレムの中心にある十字路での世間話という意味だが、スコット・ヘロンはこのデビュー期から一貫して黒人やマイノリティの視点からアメリカという国家や権力に対して鋭い批判の矢を投げかけてきたのだった。それは「革命の真の姿はテレビではけっして映し出されることはない」といった彼が用いた言葉が、すでにこの時期にも登場していることからもわかる。
1975年「ヨハネスバーグ」がリズム・アンド・ブルース・チャートに入る。同年、アリスタ・レコードに移籍し2枚組ライブ・アルバム『イッツ・ユア・ワールド』も発売される。ジャズやサルサ、ソウル・ミュージックを無理なく融合させ、シニカルに社会を切っていくスコット・ヘロンのスタイルは、このアルバムで生き生きと表現されていた。なお、スコット・ヘロンのサウンド作りには、相棒であるキーボード奏者のブライアン・ジャクソンBrian Jackson(1952― )が大きな役割を果たしていることも忘れてはならない。
1980年代に入り、「ザ・ボトル」と「B級映画」「リ・ロン」という一連のレーガン批判のシングルが世間の注目を浴びるが、ポップ・チャートに届くほどのものではなかった。そしてこのまま消えていくのかと思われたが、ラップやレア・グルーブ(昔の優れた音楽を見直そうという動きのなかから生まれたジャンル)などによる旧世代音楽の再発見のなかであらためて浮上し、「ラップのゴッドファーザー」とまでよばれるようになった。
[藤田 正]
『The Vulture (1996, Canongate Pub., Edinburgh)』