スペランスキー(読み)すぺらんすきー(英語表記)Михаил Михайлович Сперанский/Mihail Mihaylovich Speranskiy

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スペランスキー」の意味・わかりやすい解説

スペランスキー(Aleksey Dmitrievich Speranskiy)
すぺらんすきー
Алексей Дмитриевич Сперанский/Aleksey Dmitrievich Speranskiy
(1888―1961)

ロシアの病態生理学者。1911年カザン大学を卒業、1920年イルクーツク大学教授となる。1923年からパブロフの共同研究者となり、1928年レニングラード(サンクト・ペテルブルグ)の実験医学研究所病態生理学部長となり、1945年からは病理学実験病理学研究所所長。生理学、病理学、解剖学人類学の各分野の研究を行い、とくに神経系栄養機能、神経性栄養失調の研究から、すべての病的過程の発生において神経系が重要な役割を果たすという独創的な理論をたて、病理学に新生面を開いた。

[大鳥蘭三郎]


スペランスキー(Mihail Mihaylovich Speranskiy)
すぺらんすきー
Михаил Михайлович Сперанский/Mihail Mihaylovich Speranskiy
(1772―1839)

ロシアの政治家。伯爵。田舎(いなか)の聖職者の家庭に生まれる。ペテルブルグの神学校を卒業したが、1797年からのちの内務省に勤務。アレクサンドル1世に認められて1809年10月、ロシア最初の憲法草案ともいうべき大幅な国家改造案を作成したが、国内の保守的な官僚、貴族層の反対とナポレオン戦争のために、これはごく一部が実施されただけで終わった。12年、皇帝寵愛(ちょうあい)を失ってシベリア流刑となったが、19年にはシベリア総督に就任。ニコライ1世の即位とともに中央政界に復帰し、デカブリストの審問委員会の議長や、『ロシア帝国法令全集』の編集の指導などにあたった。

[外川継男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スペランスキー」の意味・わかりやすい解説

スペランスキー
Speranskii, Mikhail Mikhailovich

[生]1772.1.12. チェルクティノ
[没]1839.2.23. ペテルブルグ
ロシアの政治家。伯爵。 1808年より皇帝アレクサンドル1世の側近として,内政の改革に従事。 09年三権分立を基礎とする有名な「スペランスキーの国家改造案」を作成したが,採用されずに終った。 12年に免職となり流刑に処されたが,その後政界に復活し,19年にはシベリア総督に任じられた。その後 21年首都ペテルブルグに戻り,国家評議会議員となり,30年には 45巻から成る『ロシア帝国法律大全』 Polnoe sobranie zakonov Rossiskoy imperiiの編纂を指導した。

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