ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スルピキウス・ルフス」の意味・わかりやすい解説
スルピキウス・ルフス
Sulpicius Rufus, Publius
[没]前88. ラウィニウム
古代ローマの弁論家,政治家。民衆派 (ポプラレス ) を代表して,M.ドルススの政策を受継ぎ,イタリア同盟市に同情的な立場をとった。前 88年護民官 (トリブヌス・プレビス ) としてイタリア市民のトリブス指定,元老院の粛清,前 90年のワリア法による流刑者の釈放,ミトラダテス戦争指揮権を L.スラから G.マリウスに賦与するなどの施策を行なった。その結果,閥族派 (オプチマテス ) と対立し,ローマに親マリウス的な騒擾が起り,みずからもマリウスと提携,スラはカンパニアに逃れ,自分の軍隊と合流,ローマに進撃して占領,マリウスは逃れたが,スルピキウスは捕えられて処刑された。
スルピキウス・ルフス
Sulpicius Rufus, Servius
[没]前43
古代ローマの法律家,政治家。ロードスで M.キケロとともに弁論術を学ぶが,のち法律を志す。前 63年の執政官 (コンスル ) 選挙で L.ムレナに敗れ,彼を贈賄で告発したがキケロが弁護。前 51年執政官。ユリウス・カエサルのもとでアカイア総督。ムチナの M.アントニウスのもとに使派遣されてその途中病死。公式に火葬され像が建てられた。
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