ポプラレス
populares[ラテン]
ローマ共和政時代末期の政治用語として,〈民衆的〉な路線をとる政治家を指す。〈民衆派〉の意で,単数ではポプラリスpopularis。すなわち,ローマ古来の政治的伝統に従って元老院の権威を軸に政策を進めようとするオプティマテスに対して,グラックス兄弟以後新しい生命を得た民会を中心に政策を進めようとする政治家。グラックス兄弟に続いてマリウス,カエサルなどもポプラリスである。しかし彼らは民衆の中から出た者ではなく,元老院議員の身分に属しながら元老院に反逆する者で,自己の識見に基づく政策を,民衆を扇動して民会決議を作らせて実現しようとした。したがって近代的な意味での〈民主政治家〉ではない。
→オプティマテス
執筆者:吉村 忠典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ポプラレス
Populares
ローマ共和政末期の党派。民衆派と訳される。プレプス (平民) の歓心を買おうとした人々で,プレプスの支持を得て政策を行なった人々をさし,元老院によるオプチマテス (閥族派) と対立した。彼らは必ずしもプレプスの出ではなく,全面的にプレプスの利害を代表したわけでもない。代表的人物には,パトリキ (貴族) の土地所有を制限してプレプスに土地を配分しようとしたグラックス兄弟があるが,以後の G.マリウス,ユリウス・カエサルらはむしろ政略としてプレプスの支持を取付け,自己の権力獲得に利用した。
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ポプラレス
populares
ローマ共和政末期の党派。民衆派と訳すが,広く一般市民大衆を基盤とする党派ではなく,オプティマテスにあい対立し,民会を足がかりとする人たちの集まりをさす。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内のポプラレスの言及
【オプティマテス】より
…元来は〈最もすぐれた人びと〉の意であるが,ローマ共和政時代末期の政治用語としてはポプラレス(民衆派)に対する〈閥族派〉をあらわす。すなわちグラックス時代以後,それまで元老院貴族の意のままになっていた民会が新しい生命を持つようになると,民会の決議を武器として政策を進めようとする者はポプラレスと呼ばれ,ローマ古来の伝統に従って元老院の権威を軸として政策を進めようとする者はオプティマテスと呼ばれた。…
【ローマ】より
… 今やローマの国家構造と支配の一大変革期であった。この変革期を乗り切るために,ローマの支配層は,民会を基礎にして政治を動かそうとする民衆派([ポプラレス])と,元老院の権威を背景に事を進めようとする閥族派([オプティマテス])に分かれて,権力闘争を繰り広げた。こうして,マリウス派を一掃して殺戮し恐怖政治を敷いた閥族派スラ,スラの外征中に一時政権を握った民衆派のキンナ,スラの死(前78)後,再び民衆派路線に復帰した,かつてのスラの領袖ポンペイウスとクラッスス,そして再び元老院に接近したポンペイウスを倒すカエサルらが相次いで現れた。…
※「ポプラレス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」