漢字表記地名「安平」のもとになったアイヌ語に由来する地名。本来は河川名であったと考えられる。当地一帯は近代に入り
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
スペイン中央部アビラ県の県都。旧カスティリャ平原の南端,グレドス山地北麓,標高1000mの高原都市。人口4万4618(1986)。ローマの植民都市アベラに始まり,使徒聖ペテロの弟子が布教した。714年のイスラム教徒の占領から11世紀末のキリスト教徒による国土回復戦争まで,両勢力の最前線に位置し,11世紀半ばには高さ12m,長さ2.5kmの市壁で町を完全に取り囲んだ。1120年頃に司教座が置かれ,大聖堂(12世紀半ば着工,15世紀完成)は要塞を兼ね,市壁の一部となっている。町が最も脚光を浴びたのは16世紀で,〈聖者たちのアビラ〉と呼ばれ,修道院の改革の中心となった。カルメル会のテレサが生まれ,十字架の聖ヨハネが住んだ。また,16世紀のコムネロスの反乱ではカルロス1世に反対して決起した中心的な都市の一つであった。17世紀初め,モリスコの追放によって,経済活動は衰退した。
執筆者:渡部 哲郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
スペイン中央部、カスティーリャ・イ・レオン地方にあるアビラ県の県都。人口4万9712(2001)。ドゥエロ川(ドーロ川)支流アダハ川の東岸、グアダラマ山脈北側の丘陵上、標高1131メートルに位置する高地の都市。県都としては最高所にある。旧カスティーリャ盆地にあるサラマンカなどと比較して冬の気候は厳しく、過去(1931~1960)最低気温は零下20.4℃である。しかし夏は清流と高度のおかげでしのぎやすい。毛織物工業がある。
ローマ時代はアベラAvelaと称し、8~10世紀にはムーア人の支配を受けたが、1090年からはキリスト教徒が奪回し、国土回復戦争(レコンキスタ)の重要な拠点となった。16世紀にとくに栄えたが、1607~1610年、フェリペ3世がムーア人を祖先とする市民の追放を行って以来、衰退し始めた。中世の姿をとどめる古い市街地には花崗岩(かこうがん)をそのまま用いた建物が多く、88の塔を備えた11世紀の城壁で囲まれている。城壁外にあるスペイン有数のロマネスク建築のサン・ビンセント教会をはじめ、サン・サルバドル大寺院、13世紀からルネサンスに至る彫刻を備えた宮殿など、歴史的建築物が多くみられる。また、聖女テレサ・デ・ヘススの生地として訪れる巡礼者も多く、スペインにおける宗教の中心地であるとともに、観光地ともなっている。旧市街と城壁外の教会は1985年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[田辺 裕・滝沢由美子]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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