タイ史(読み)タイし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タイ史」の意味・わかりやすい解説

タイ史
タイし

先史時代,タイにはインドシナのホアビン文化が西タイのカンチァナブリ,メーホンソン西北洞窟遺跡に,中国の竜山文化がカンチァナブリ,バン・カオ遺跡に達し,またドンソン文化が東北タイのコンケーンに及んでいた。13世紀までに華南から民族移動していたタイ族は,1238年スコータイ朝を創始した。タイ族はビルマの下ビルマ,タイ,マレー半島に居住していた先住民のモン族を征服するとともに上座部仏教を受容し,またクメール文化を取り入れた。1350年創建のアユタヤ朝は,400年の治世を通じビルマと戦争を繰り返したが,内政では成文法を整え (14世紀) ,中央政府 5省,副王制サクディナー制を創設 (15世紀) ,また西ヨーロッパ貿易とともにキリスト教布教を承認した (17世紀) 。1782創建のチャクリー朝は,バンコクを都とし,19世紀中頃には欧米諸国と通商条約を締結し,19世紀後半のチュラーロンコーン(→ラーマ5世)王時代には西ヨーロッパ的な行政・司法制度,郵便,電信,鉄道などを設置した。近代化政策は官僚軍人の革新勢力を生み,1932年6月24日立憲革命が起こり,絶対君主制度は崩壊した。第2次世界大戦中には日本軍進駐下にあって連合国に宣戦布告した。戦後は国際連合諸機構事務局をバンコクに誘致,自由主義陣営の積極的な一翼を担ったが,軍などを背景とするクーデターが相次いだ。ベトナム,ラオスでの戦乱に伴い,1960年頃から辺境で共産ゲリラが活動。1973年10月には,憲法早期公布を要求していた学生や知識人と軍・警察部隊との間で大衝突が起こり,タノーム内閣は退陣した(→十月学生革命)。以後も小党乱立,軍の政治介入などのため政情は安定せず,1976,1977年にはクーデターが発生し,またカンボジアなどからの戦争避難民の大量流入に悩まされた。この後 1991年にも軍部政局へ介入し,1992年には抗議の集会に駆けつけた市民らと軍・警察部隊との間に衝突が起こった。現国王はチャクリー朝第9代プミポン・アドゥンヤデート

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