日本大百科全書(ニッポニカ) 「タランティーノ」の意味・わかりやすい解説
タランティーノ
たらんてぃーの
Quentin Tarantino
(1963― )
アメリカの映画監督。テネシー州ノックスビル生まれ。名前はテレビの西部劇シリーズでバート・レイノルズBurt Reynolds(1936―2018)が演じた混血児の鍛冶屋「クイント」およびウィリアム・フォークナーの小説『響きと怒り』の登場人物に由来する。幼いころに両親は離婚。母親は2歳の彼を連れてロサンゼルス郊外のサウス・ベイ地区に移住した。少年時代からテレビ、映画、コミックに夢中になり、極度の学校嫌いだっため、仕事につくとの条件で母親の許しを得て高校を中退。演技の勉強をしながら、まずポルノ映画館の案内係を務め、1984年からは、カリフォルニア南部マンハッタン・ビーチで最大規模のビデオ・レンタル店ビデオ・アーカイブズの店員となる。常連だった彼に店員になるよう勧めた人物ロジャー・エイバリーRoger Avery(1965― )は、後にタランティーノ作品の脚本に協力、映画監督となる。店の同僚の多くはなんらかの形で映画にかかわる仕事を目ざしており、タランティーノは彼らの協力を得て自ら主演も務める初監督作品「マイ・ベストフレンズ・バースデイ」(1985~1987)に取り組むものの、ついに未完に終わる。またこの時期に脚本づくりにも励み、そのうちのいくつかは買い上げられたが、自分自身で監督する夢は果たせなかった。この時期に書かれた脚本で後に映画化された作品として、トニー・スコットTony Scott(1944―2012)監督の『トゥルー・ロマンス』(1993)およびオリバー・ストーン監督の『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994)があり、タランティーノは後者における脚本の改変に対し強い怒りを表明する。
ビデオ・アーカイブズでの5年間の勤務が彼に与えた影響は大きい。彼も敬愛するジャン・リュック・ゴダールら1950年代末のフランス、ヌーベル・バーグの監督たちが、シネマテーク・フランセーズで過去の映画史上の名作を見続ける若者たちのなかから誕生し、スピルバーグやスコセッシら1970年代デビュー組のアメリカ映画の新鋭たちが大学で映画を学んでプロになった世代だったとすれば、1980年代なかばに映画製作への野心に燃える若者たちを象徴する空間こそ、膨大な所蔵量を誇る巨大なビデオ・レンタル店であった。タランティーノや仲間にとって、ただ映画史上の名作だけが重要だったのではない。むろんそうした作品にも敬意を払ったが、それまで「作品」として省みられることのなかった、場末の映画館でかかるカンフー映画やブラックスプロイテーション映画(Blaxplotation。Black + exploitationによる造語。1970年代初めから黒人観客をおもなターゲットに製作された、黒人キャストが主役を演じる映画)なども、彼らにとって同程度に重要なものとみなされた。そうした玉石混交を許容するばかりか、あえて積極的に肯定する映画史的教養こそ、ビデオ・レンタル店世代の特徴であり、タランティーノが後に監督する作品群を特異なものとするバックグウランドでもあった。
1990年、映画づくりへの野心を共有しうる製作者ローレンス・ベンダーLawrence Bender(1957― )とともに、映画プロダクション「ア・バンド・アパート」を設立。これはゴダールの初期作品『はなればなれに』(1963)に由来する名称で、2人の協力関係はその後長く継続される。やがて自身が監督となるために書き進めた脚本が、俳優ハーベイ・カイテルHarvey Keitel(1939― )の目に止まり、初の監督作品の撮影を開始。完成した『レザボア・ドッグス』(1992)は、タランティーノ自身も含む黒のスーツにサングラスという衣装の男性6人組による宝石強盗失敗の顛末(てんまつ)を描くもので、これまで多数製作されてきたたぐいのオーソドックスな犯罪物語の外観ながら、肝心の強盗シーンを省略し、物語の本筋と無縁なおしゃべりを延々と登場人物たちに語らせ、さらには不条理なまでに異様な暴力描写を挿入するといった才気漲(みなぎ)る内容で、とりわけヨーロッパの批評家たちから高い評価を受けた。
1994年のカンヌ国際映画祭に出品された第二作『パルプ・フィクション』(1994)は、グランプリ(パルム・ドール)に輝き、アメリカ国内で公開されてからも数多くの賞を受賞、アカデミー賞の脚本賞もエイバリーとともに獲得した。三文犯罪小説仕立ての三つの物語を並行して語る斬新(ざんしん)かつ大胆な構成が成功を収め、多くの亜流の作品を生み出すほど絶大な影響力のある映画となり、タランティーノは1990年代を象徴する新世代監督としての地位を不動のものとする。引き続き、4話からなるオムニバス映画『フォー・ルームス』(1995)を共同製作すると同時に第4話(「ハリウッドから来た男」)の演出を担当。同作品にも参加した盟友のメキシコ人映画監督ロバート・ロドリゲスRobert Rodrigez(1968― )に、デビュー前に書いた脚本『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996)を提供、俳優としても出演する。3作目の『ジャッキー・ブラウン』(1997)は、彼の10代のころからのあこがれのスター、パム・グリアーPam Grier(1949― )を主演に招き、彼女が活躍した1970年代のブラックスプロイテーション映画にオマージュを捧げる内容の犯罪映画だった。その後、しばらく監督としては休業状態がつづいたが、久々の新作として『キル・ビル1』(2003)を、続いて『キル・ビル2』(2004)を発表。カンフー映画や日本のヤクザ映画へのオマージュが濃厚な第1部では日本でも撮影が行われ、タランティーノが敬愛する日本人スター千葉真一(1939―2021)も出演。復讐(ふくしゅう)をめぐる物語が大団円を迎える第2部では、いわゆるマカロニ・ウェスタンに近い世界を再現、彼の創作のバックグラウンドをなす映画史的記憶がキッチュな一大叙事詩へと昇華された。
[北小路隆志]
資料 監督作品一覧
マイ・ベストフレンズ・バースデイ My Best Friend's Birthday(1987)
レザボア・ドッグス Reservoir Dogs(1992)
パルプ・フィクション Pulp Fiction(1994)
フォー・ルームス~「ハリウッドから来た男」 Four Rooms - The Man from Hollywood(1995)
ジャッキー・ブラウン Jackie Brown(1997)
キル・ビル Vol. 1 Kill Bill : Vol. 1(2003)
キル・ビル Vol.2 Kill Bill : Vol. 2(2004)
シン・シティ Sin City(2005)
デス・プルーフ in グラインドハウス Death Proof(2007)
イングロリアス・バスターズ Inglorious Bastards(2009)
ジャンゴ 繋がれざる者 Django Unchained(2012)
『ジェイミー・バーナード著、島田陽子訳『タランティーノ・バイ・タランティーノ』(1995・ロッキング・オン)』▽『ポール・A・ウッズ著、吉田智佳子訳『クエンティン・タランティーノの肖像――B級エンターテインメントの帝王』(1997・シンコーミュジック)』▽『小出幸子編『フィルムメーカーズ3 クエンティン・タランティーノ』(1998・キネマ旬報社)』