西アフリカ,セネガルの北西端,セネガル川の河口に位置する都市。人口14万8000(1999)。砂が多く,決して良港とはいえない地に,1638年フランス商人が基地を設けたのが発祥で,59年の町の建設以降,黒アフリカ文化,イスラム文化,そしてヨーロッパ文化の接点として特異な発展をとげた。アラビアゴムの原料,象牙,皮革,奴隷の輸出港であったと同時に,フランスはここからセネガル川をさかのぼり,内陸部開発の拠点とした。フランス領西アフリカ全体の主都となった1895年には人口2万を擁し,西アフリカ最大規模の都市であった。20世紀にはいるとセネガル北部でのゴムの産出が凋落し,逆に中南部でのラッカセイの産出が急増してきた。またそれ以前,1857年にはダカールに良港が建設され,ダカール~サン・ルイ間,ついでダカールから内陸のニジェールに至る鉄道が敷設されると,サン・ルイは港として機能を失い始めた。1902年にフランス領西アフリカ植民地総督府がダカールに置かれた後も,サン・ルイは西アフリカ植民地全体の主都とされたが,経済的な存在意義はすでに失っていた。60年のセネガル独立に際して首都はダカールに決められた。75年以来,サン・ルイの再活性化を狙い,セネガル第2の国立大学および産業地区を建設し,港湾を改良する計画が進められている。
執筆者:小川 了
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西アフリカ、セネガル北西部の港湾都市。セネガル川河口に位置し、市街地は河口のサン・ルイ島とソル島に立地している。人口15万4496(2001)。1658年、フランスの貿易会社がソル島に交易基地を置いたことが都市の始まりで、フランス領西アフリカではもっとも古い都市である。かつてはセネガル川上流域からの奴隷、ゴム、金の積出し港として栄え、政治的にも1902年までフランス領西アフリカの首都であったが、その後ダカールにその地位を奪われた。ブラック・アフリカ研究所(IFAN)も1954年までここにあった。市街はいまも古いフランス植民都市のたたずまいを保っている。工業として食品、化学、繊維があり、漁業も盛んである。ダカールとは鉄道で結ばれ、空港もある。
[藤井宏志]
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…在位1226‐70年。〈聖王〉〈サン・ルイSaint Louis〉と呼ばれる。敬虔な信仰に生き,ローマ教会によって列聖(1297)されたためである。…
…【端 信行】
[住民,社会]
国民の1人当りGNP600ドル(1995)という数値は,サハラ以南のアフリカ諸国のなかでも高いほうにはいる。都市人口は総人口の約42%(1995)を占め,アフリカでも最も都市化の進んだ国の一つであり,首都ダカールをはじめ,ティエス,カオラク,サン・ルイなどの都市が発達している。住民ではウォロフ族が最も多く,総人口の3分の1以上を占める。…
… ギニアのフータ・ジャロン山地のピータ付近に源を発し,バファン川として北東流し,マリ領に入ってからは流路を北西に変え,バフラベ付近でバコエ川と合してセネガル川となる。セネガル川は,さらに北西流してマリ,セネガル国境に近いケーズを過ぎ,途中ファレメ川と合し,モーリタニアとセネガルの国境をなして流れ,セネガル北西のサン・ルイで大西洋に注ぐ。サン・ルイは,フランスの西アフリカ植民の拠点として建設された町で,セネガル川はフランスの内陸植民,貿易の通路となった。…
※「サンルイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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