チュオンチン(その他表記)Truong Chinh

改訂新版 世界大百科事典 「チュオンチン」の意味・わかりやすい解説

チュオン・チン
Truong Chinh
生没年:1907-88

ベトナムの政治家。1981年以来,国家評議会議長(元首)。本名ダンスアンクーDang Xuan Khu。ベトナム北部のナムディン省に生まれ,1928年ころから抗仏運動に加わった。30年香港ベトナム共産党創立された後,その国内組織に入党し,33年に逮捕されたが,36年フランス本国人民戦線が成立して釈放されると党の公開代表となった。39年党の非合法化で中国雲南省に脱出,ホー・チ・ミンの側近として活躍し,中国共産党に対する親近感から政治家としての名を〈長征〉の字音チュオン・チンに改めた。41年国内に潜入し党書記長としてベトミン結成に中心的役割を果たし,45年の八月革命,民主共和国の独立と抗仏インドシナ戦争の期間を通じて党の理論的指導に実績をあげた。56年土地改革政策に対する不満からおこったゲアン省の民衆暴動事件の責任をとって書記長を退いたが,その後も副首相,国会常務委員長を歴任し,政治局員としても政治生命を保ち,81年南北ベトナム統一後に制定された新憲法により元首となり87年引退。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「チュオンチン」の意味・わかりやすい解説

チュオン・チン
ちゅおんちん
Truong Chinh
(1908―1988)

ベトナムの政治家。本名ダン・スアン・ク。チュオン・チンは中国共産党の行った「長征」のベトナム語読み。1930年インドシナ共産党創立に参加。1931~1936年フランス植民地当局により投獄。1941年党書記長となり、ベトナム独立同盟(ベトミン)の結成を指導。1951年ベトナム労働党への改称に際し書記長。農地改革の失策を問われ1956年辞任。しかし、1958年副首相、1960年国会常任委議長としてふたたび台頭。1975年南北統一交渉では北の代表団長。1976年(第6期)、1981年(第7期)国会議員総選挙に当選。1981年国家評議会議長(大統領に相当)兼国防評議会議長。1986年7月死去したレ・ズアンの後任として党書記長に就任したが同年12月引退。

[黒柳米司]

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百科事典マイペディア 「チュオンチン」の意味・わかりやすい解説

チュオン・チン

ベトナムの革命家,政治家。ベトナム北部のナムディン省出身。チュオン・チンは政治家としての名で,中国革命の〈長征〉の音による。本名はダン・スアン・クー。1928年ころから抗仏独立運動に参加,1930年に香港で創立されたベトナム共産党に入党し,国内で活動,1933年に逮捕されるが,1936年のフランス人民戦線政府成立で釈放され,公然面での党の代表となる。1939年共産党が非合法化されると,中国雲南省に逃れ,ホー・チ・ミンの側近として活躍,1941年に再びベトナムに戻り,書記長としてベトミン結成を指導した。ベトナム民主共和国成立からインドシナ戦争,ベトナム戦争の全期間を通じて,政治局員として指導的な位置にあり,1981年の南北ベトナム統一後,1987年の引退まで国家元首。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チュオンチン」の意味・わかりやすい解説

チュオン・チン
Truong Chinh

[生]1910. ナムディン
[没]1988.9.30. ハノイ
ベトナムの政治家。ハノイ大学に入学し,1928年ホー・チ・ミンの青年革命同志会支部書記となった。 30年インドシナ共産党の創立に尽力し,31~36年入獄。 41年インドシナ共産党書記長。 45年 11月,労働党の前身マルクス主義研究会会長,51年の労働党結成後,書記長となったが,56年土地改革の失敗の責任を問われ書記長を辞任。 58年5月副首相,60年国会常任委員会議長。レ・ジュアンと並んで労働党の理論的指導者として活躍し,南ベトナム政権崩壊後も南北統一のための政治会議議長をつとめた。 76年7月の統一国会で,再びベトナム社会主義共和国国会常任委員会議長に選出された。 86年7~12月国家評議会議長。同年 12月引退。グエン・バン・リン指導部によるドイ・モイに道を開いた。

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20世紀西洋人名事典 「チュオンチン」の解説

チュオン・チン
Truong Chinh


1907.2 - 1988.9.30
ベトナムの政治家。
元・ベトナム国家評議会議長。
ナムディン省(ベトナム)生まれ。
本名ダン・スアン・ク〈Dang Xuan Khu〉。
1930年にインドシナ共産党に入党する。’39年中国に脱出する。’41年に本国へ侵入し、党の書記長となる。’56年に書記長を退任後、’81年に統一ベトナムの新憲法により、国家評議会議長に就任した。’86年レ・ズアンの後任として党書記長に就任したが、同年末に引退する。ホー・チ・ミンの側近として活躍して、党の理論的指導の実績がある。チュオン・チンは中国共産党が行った「長征」をベトナム語読みしたもの。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のチュオンチンの言及

【ベトナム】より

…第1次インドシナ戦争の始まりである。フランス軍は当初平野部の制圧に成功したが,チュオン・チンの人民戦線戦術によって,戦線は膠着化し,バオダイ・ベトナム国の擁立やアメリカの大量の軍事援助にもかかわらず,54年ディエンビエンフーに大敗して,撤退に追い込まれた。同年のジュネーブ会議により,ベトナムは北緯17度線を境に北を民主共和国,南をバオダイ・ベトナム国の統治にゆだね,3年後に統一選挙が施行されることになった。…

※「チュオンチン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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