ツァイス(読み)つぁいす(英語表記)Carl Zeiss

精選版 日本国語大辞典 「ツァイス」の意味・読み・例文・類語

ツァイス

  1. [ 一 ] ( Carl Zeiss カール━ ) ドイツ光学器械製造の開拓者。一八四六年イエナに精密機械工場を設立、幾何光学に基づいた顕微鏡製作。光学器械製造業カール‐ツァイス社を創設。(一八一六‐八八
  2. [ 二 ] [ 一 ]の設立した光学機器を製作する会社。また、そこで作られた顕微鏡・レンズなどの製品をいうこともある。
    1. [初出の実例]「ツァイスでのぞいて見るやうな心持がした」(出典:蓄音機(1922)〈寺田寅彦〉)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ツァイス」の意味・わかりやすい解説

ツァイス
つぁいす
Carl Zeiss
(1816―1888)

ドイツの光学器械製造家。ワイマールに生まれる。初め医学を志したが、のちに光学器械の製造に転じ、1846年イエナに顕微鏡工場を設立した。よい顕微鏡の製作には光学理論の研究が必要であると考え、イエナ大学の数学、物理学教授であったアッベ協力を求めた。のちにアッベを共同経営者として迎え、また多くの光学ガラスの開発、研究を行っていた化学者ショットにも協力を求め、没後1889年に総合的な光学器械会社カール・ツァイス社が完成した。カール・ツァイス社はアッベによって引き継がれ、さらにカール・ツァイス財団の管理下に移され、優れた光学器械の製造を続けた。1945年第二次世界大戦の終結に伴い、イエナが東ドイツに含まれるようになったが、経営陣と約100人の技術者がアメリカ軍の援助のもとにイエナから西ドイツ領内に脱出し、カール・ツァイス財団はハイデンハイムに、カール・ツァイス社はオーバーコッヘンに、ショットガラス会社はマインツにそれぞれ新しい社屋、工場を建設し、光学器械の製造を続けた。東ドイツのカール・ツァイス社、ショットガラス会社はイエナで生産を続けていたが、1990年東西ドイツの統一に伴い、東西カール・ツァイス社およびそれらの関連会社もカール・ツァイス財団のもとに統一されることになった。その後、東西両ツァイス、ショットその他の関連会社は一体となって再編成を行い、光学機械から電子機械、半導体、工業用機械まで幅広く生産を行っている。

[辻内順平]

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改訂新版 世界大百科事典 「ツァイス」の意味・わかりやすい解説

ツァイス
Carl Zeiss
生没年:1816-88

ドイツの光学技術者,企業家。ワイマールの生れ。シュトゥットガルト,ベルリンなどの機械工場で修業をした後,1846年にイェーナに精密機械工場を設立し,後年のカール・ツァイス社の基礎を作った。イェーナ大学の植物学者M.J.シュライデンから求められ,顕微鏡を製作するようになり,弟子のレーバーの協力を得て,50年代には拡大率300倍の複式顕微鏡の製作を始めた。一方,光学技術は当時までに,G.F.ライヘンバハ,J.vonフラウンホーファーらにより科学的手法が取り入れられるようになっており,ツァイスも顕微鏡製作に科学的手法を導入するために,66年にはイェーナ大学の光学者E.アッベを,82年には光学ガラスの研究者O.ショットを招き入れた。こうしたツァイスの努力により,顕微鏡などの光学測定装置は著しく精密になり,イェーナ工場は19世紀後半のドイツ光学技術の原動力となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツァイス」の意味・わかりやすい解説

ツァイス
Zeiss, Carl

[生]1816.9.11. ワイマール
[没]1888.12.3. イェナ
ドイツの光学器械製作者で,カール・ツァイス社の創設者。父は玩具店経営者。ギムナジウムを卒業 (1832) 後,1846年イェナに顕微鏡をはじめとする光学器械工場を開いた。光学器械の製作はすぐれた光学理論に基づかなければならないとの考えから,イェナ大学教授 E.アッベの協力を得るとともに,光学ガラスの研究家の化学者 O.ショットとも手を結び,次々にすぐれた光学器械を生み出し,カール・ツァイス社の世界的名声の基礎を築くとともに,科学の全体的発展にも大きく貢献した。

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百科事典マイペディア 「ツァイス」の意味・わかりやすい解説

ツァイス

ドイツの技術者。1846年イェーナに精密機器工場を設立,カール・ツァイス社の基礎を作ったのち,E.アッベ,光学ガラス研究者O.ショットの協力を得て,レンズや顕微鏡製作に科学的手法を導入した。死後,その遺言によってカール・ツァイス財団が設立された。

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世界大百科事典(旧版)内のツァイスの言及

【アッベ】より

…1863年イェーナ大学の私講師として数学,物理学,天文学の講義を担当,78年イェーナ大学教授となり天文台長,気象台長を兼務する。この間,1866年に光学器械製造業者のC.ツァイスと知り合い,ツァイス光学会社の顧問となり光学研究に取り組んだ。光学器械の中でも,顕微鏡の改良が当時の重要課題であり,アッベの理論的研究は,大きくそれに貢献した。…

【イェーナ】より

…人口10万2000(1995)。カール・ツァイス(通称カール・ツァイス・イェーナ社)の顕微鏡,精密測定機具などのほか,高性能ガラス,薬品製造が盛ん。ヨハニス教会(11世紀),市庁舎(14世紀)のある旧市街と今に残る城壁の一部,ツァイス社を中心とする新市街がザーレ川の谷あいに調和よく町を形成している。…

【カール・ツァイス[会社]】より

…19世紀の半ばヨーロッパでは,顕微鏡が科学研究の手段として見直され,高性能な顕微鏡への需要が高まっていた。こうした状況下,C.ツァイス(1816‐88)によって1846年,イェーナにつくられた顕微鏡製作所がカール・ツァイス社の始まりである。66年,ツァイスはイェーナ大学の数学・物理学講師E.アッベを招いた。…

※「ツァイス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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