アッベ(読み)あっべ(英語表記)Cleveland Abbe

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アッベ」の意味・わかりやすい解説

アッベ(Ernst Abbe)
あっべ
Ernst Abbe
(1840―1905)

ドイツの物理学者。1月23日アイゼナハに生まれる。1870年イエナ大学教授、1878年同大学天文・気象観測所長となった。1866年からカール・ツァイスの光学工場と協力関係にあり、1875年共同経営者となり、光学機械やレンズの性能向上に力を尽くした。1884年、ツァイス、O・ショットと協力して光学ガラス会社を設立した。1888年ツァイスの死後、カール・ツァイス光学会社の社長となり、政府、大学、労働者がそれぞれ利益を得るような協同企業体に組織がえをして、後の同社の隆盛の基礎を築いた。光学ガラスと光学機械の研究と改良に多くの功績を残し、アッベ屈折計分光器顕微鏡の照明装置、プリズム双眼鏡発明や改良で知られている。光学ガラスの分散を表す量としてアッベ数は現在でも広く用いられている。1905年1月14日イエナで没した。

[辻内順平]


アッベ(Cleveland Abbe)
あっべ
Cleveland Abbe
(1838―1916)

アメリカの天文学者、のち気象学者。ニューヨークに生まれる。同市の大学を卒業後、1860年マサチューセッツ州ケンブリッジで天文学者グールドBenjamin Apthorp Gould(1824―1896)の下で仕事をした。さらに1865年にはロシアプルコボ天文台留学シュトルーベの下で天文学を研究した。1867年シンシナティ天文台の台長となり、1868年から同台で天気予報を出すことを創始した。その後ワシントンの陸軍省信号局に勤務し、信号局の気象事務が農務省下の天気局に移されてからは、天気局の技師として没年まで勤めた。アメリカにおける天気予報の創業に尽力したばかりでなく、ヨーロッパの論文を英語訳して編集した気象学論文集は広く後進に読まれ、気象学の専門教育に貢献した。

[根本順吉]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アッベ」の意味・わかりやすい解説

アッベ
Abbe, Ernst

[生]1840.1.23. アイゼナハ
[没]1905.1.14. イェナ
ドイツの物理学者。イェナ大学物理学および数学教授 (1870) ,天文台長兼気象台長 (78) 。おもな業績は光学器機,特に顕微鏡の理論的・技術的改良にあり,それは 1866年彼がカール・ツァイス社の研究主任に就任したときから始った。顕微鏡用の色消しレンズの考案,照明装置の改良をはじめ,特に顕微鏡結像の理論,分解能の研究では先駆的な役割を果した。 91年科学および社会改良に関する研究に助成金を与えるカール・ツァイス財団を創設。その他,ツァイス社の経営者としても手腕をふるい,従業員,大学関係者を経営に参加させるなどの再編成を行なった。

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