改訂新版 世界大百科事典 「つるめそ」の意味・わかりやすい解説
つるめそ
鎌倉時代から江戸時代にかけて,京都の清水坂,建仁寺のあたりに集住した〈賤民〉の一種。本来の名称は〈犬神人(いぬじにん)/(いぬじんにん)〉といい,祇園社(ぎおんしや)(八坂神社)に隷属して,最下級の神人(じにん)として境内地・墓所などの清掃や祇園御霊会(ごりようえ)(祇園祭)の神幸の警護,神幸路の清めなどを主要な任務にするとともに,とくに中世には比叡山延暦寺の末社であった祇園社の軍事的・警察的組織をなして縦横に活躍した。また,京都での葬礼に関する権益を保持して布施を得たことも知られている。江戸時代の文献では,犬神人,弦売僧,弦女曾,弦練作,弦召などと漢字表記されたが,犬神人を〈つるめそ〉と訓読した例は中世の文献にはみあたらず,沓(くつ)(履物)とあわせて弓弦(ゆんづる)の製造・行商で生計をたてていたことから,〈弦召そう〉という売声が人々の耳になじみ,それが犬神人の別称となって江戸時代に入って定着したものと推察される。《七十一番職人歌合》の十六番に登場する犬神人は路上に座して弦を商い,〈つるうり(弦売)〉と呼ばれ,〈つるめし候へ〉と売声を発している。また,天文年間(1532-55)の俳諧連歌集《犬筑波集》には〈弦や召されん〉という売声をあげて行商した〈坂の者(さかのもの)〉(犬神人であろう)がいたことをうかがわせている。弦売の名のほかに〈弦懸(つるかけ)〉という名称も犬神人の別称の一つとして中世末期には各地に広まっていたようで,これは弓筈(ゆはず)に弦を仕掛ける作業をいい,それに犬神人が関係したことによると思われるが,それらしい様態は《上杉家本洛中洛外図》の中の,弓屋の店さきで弦掛けをしている白頭巾・赤衣の男の姿にもうかがえる。白布を組結(くみむすび)にして覆面し,赤系統もしくは茶系統の色の衣を着用するのは犬神人の独特の服装であり,神人として任務に従うさいには,その衣の下に鎧(よろい)を着こんで棒(八角棒か)を持ち,帯刀したが,夏の祭礼の警護のときなどは衣をとり,腹当(はらあて)という簡素な鎧姿で立ち働くことが多かったらしい。なお,祇園社の犬神人ばかりでなく,本願寺(浄土真宗)の配下にも犬神人たちがいて,南北朝時代から江戸時代初期にかけて歴代門主の葬送に〈棒持衆(ぼうもちしゆう)〉〈棒ノ衆〉として供奉したり,室町末期には〈弦懸〉の名で本願寺に弦を献納したりしていた。
犬神人という名称の由来は定かでないが,祇園社の祭神である牛頭天王(ごずてんのう)に従って天下りした牝牡2匹の白犬の末裔が人間と化し,犬神人の祖となったという伝承もあり,荒唐無稽な話ではあるが,強い賤視を被るようになる以前,ごく初期の時代の犬神人たちには一種の神聖さがみとめられていたことをしのばせる。
なお,つるめそは,他に越前の気比神宮などにもいたことが知られている。
執筆者:横井 清
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報