オドアケル(読み)おどあける(英語表記)Odoacer

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オドアケル」の意味・わかりやすい解説

オドアケル
Odoacer

[生]433
[没]493.3.15. ラベンナ
ローマ帝国の支配から脱して,最初にイタリアを実質的に支配したゲルマン民族 (蛮族) の王。ゲルマン名門の出身。ラベンナで西ローマ皇帝の親衛隊員となり (470) ,ローマ将軍オレステスが息子ロムルス・アウグスツルスを帝位につけたのちの 476年,反乱を起し,傭兵の支持を受けてその隊長となり,オレステスを殺し,最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグスツルスを廃した。 476年東ローマ (ビザンチン) 皇帝ゼノからパトリキウスの称を受けた。ゼノのために,480~482年にダルマチア (現クロアチア) ,487~488年にはルジ (現オーストリア地方) などを制圧したが,イタリア統治に関してゼノと意見が対立し,ゼノの命を受けた東ゴートテオドリック大王に敗れ (493) ,暗殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オドアケル」の意味・わかりやすい解説

オドアケル
おどあける
Odoacer
(433ころ―493)

ゲルマン出身のイタリア王(在位476~493)。ドナウ川中流域に定住したゲルマンの小部族スキル人の名門の出身。スキル人が東ゴートに滅ぼされたのち、西ローマ帝国皇帝アルテミウスの親衛軍に入り、将軍リキメールが皇帝を廃位したとき、彼を助けて頭角を現した。リキメールの後継者オレステスが自分の息子ロムルスを帝位につけると、これに対立し、476年オレステスを殺し、ロムルス・アウグストゥルスを廃して西ローマ帝国を滅ぼし、自らイタリア王を称した。東ローマ(ビザンティン)帝国は最初これを黙認していたが、のち東ゴート王テオドリックオドアケル討伐を託した。オドアケルは、イタリアに侵入したテオドリックに493年降服、その後テオドリック自らの手で殺された。

[平城照介]

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