テル・エル・アマルナ(読み)てるえるあまるな(英語表記)Tell el-Amarna

日本大百科全書(ニッポニカ) 「テル・エル・アマルナ」の意味・わかりやすい解説

テル・エル・アマルナ
てるえるあまるな
Tell el-Amarna

エジプトのカイロとルクソールのほぼ中間、ナイル東岸にある遺跡。古代エジプトただ一度の一神教時代の王都。略称はアマルナ。第18王朝の10代目の王アメンヘテプ4世は、王権を脅かすアメン祭司団の異常な勢力を倒し、好戦的なアメン神の教義に対抗し、多神教の伝統を断ち切るため、「唯一神であるところの太陽神アトン」を唱え、王都テーベにアトン神殿を建てた。しかしテーベでアトン信仰の確立は困難となったので、即位6年目にアマルナに都を移し、新王都の名をアケト・アトン(アトンの地平)とし、自らの王名をアケナトン(イクナートンともいう。アトンを歓ばせる者)と改めた。アマルナではアトン賛歌が数多くつくられ、アマルナ・スタイルとよばれる写実的な芸術が発達した。アケナトンは在位17年で死去し、アマルナ時代も終わった。19世紀末にここで貴重な外交文書(アマルナ文書)が発見された。

[酒井傳六]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「テル・エル・アマルナ」の意味・わかりやすい解説

テル・エル・アマルナ
Tell el Amarna

エジプト,カイロ上流約 300kmの中部エジプトのナイル川東岸にある古代の遺跡。第 18王朝アメンホテプ4世が即位後,太陽神アトンを信仰し,都をテーベからこの地アケタートンに移し,建設したもの。みずからもイクナートンと改名した。しかしイクナートンの死後,わずか 15年足らずで都は再びテーベに戻された。エジプトの古代都市のなかでも最もよく発掘され,特にアトン大神殿は開放的なアトン信仰の性格をよく表わしている。東部にある墓所も含めて,装飾はこれまでの静的なエジプト調から,動的なものに変り,改革的な新興宗教の雰囲気をよく伝えている。 1887年以降に,当時の西アジアとの外交関係を示す約 360通のアマルナ文書 (書簡) が発見され,91年以降の発掘では『ネフェルティティ胸像』をはじめ,多くの美術品が出土した。

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