改訂新版 世界大百科事典 「ディルムン」の意味・わかりやすい解説
ディルムン
Dilmun
メソポタミアから見て南東の方向にあったとされる古地名。ティルムンTilmunともいう。前2520年ころのラガシュの王ウルナンシェの古拙シュメール語刻文から,前710年ころのサルゴン2世のアッシリア語刻文に至るほぼ1800年間に,シュメール・アッカド語刻文でしばしば言及されている。それは最古の時期にペルシア湾頭とインダス川地方の間を往復する船の中継地点(給水地)であったらしいが,上述のウルナンシェの記録では木材の供給地となっている。この地名と並んでしばしば記されているマカン,メルッハなどの地名とともに,ディルムンの所在地については古くからあまたの論議があった。しかし今日では,1946年のコーンウォールP.B.Cornwallの研究,近年のビビーG.Bibbyの調査などにより,歴史上のディルムンはペルシア湾西岸のバーレーン島であったらしいというのが通説になりつつある。
ところが,ディルムンという地名はシュメール語の神話的テキストにも現れており,古くに神話的地名となったことをうかがわせる。これはジウスドラZiusdra(〈生命を見た者〉)を主人公とする〈大洪水神話〉を記した断片で,大洪水によって人類が滅ぼされたとき,ジウスドラのみが助けられ,神々によってディルムンの地に住まわせられたことが述べられている。この〈大洪水神話〉は,アッカド語で書かれた《ギルガメシュ叙事詩》第11の書板のエピソードおよび《アトラ・ハシース物語》の大洪水物語の原型であり,これらがのちに《創世記》のいわゆる〈ノアの大洪水〉の物語へと発展したことはよく知られている。シュメールの大洪水神話に記されたディルムンは,二つの川が合わさるところにあって,永遠の生命を得た者が住む楽園,すなわち〈エデンの園〉の原型ともみなされているが,ビビーはこれを実在のディルムン,すなわち今日のバーレーン島と同一視しようとしている。
執筆者:矢島 文夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報