ディーゼル機関車(読み)でぃーぜるきかんしゃ(英語表記)Diesel locomotive

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディーゼル機関車」の意味・わかりやすい解説

ディーゼル機関車
でぃーぜるきかんしゃ
Diesel locomotive

ディーゼルエンジン動力源とする機関車

構造と種類

エンジン本体、冷却装置動力伝達装置、車体、台車から構成される。エンジンは小型・軽量と高出力が要求され、毎分1000回転から1500回転程度の中速と高速の中間の回転数のものが多い。動力伝達方式には、機械式、液体式、電気式の3方式がある。

(1)機械式 歯車によって減速し歯車の比率をクラッチで切り換える方式で、初期の小型機関車に使用された。軽量で構造が簡単であり、動力伝達効率もよいが、クラッチを使うので大馬力のエンジンには適さず、切換え時のショックや重連総括制御の困難から、現在では、営業用として使用されているものは少ない。

(2)液体式 歯車機構とトルクコンバーターを組み合わせた液体変速機によって駆動トルクを速度に応じて変化させる方式である。速度の変化がスムーズで小馬力から大馬力(2000馬力程度)までのエンジンに適する。日本の旧国鉄およびJRのディーゼル機関車大部分がこの液体式である。ドイツでもメキドロ・マイバッハMekydro-Maybach式の液体式ディーゼル機関車が西ドイツの連邦鉄道で多く使用され、外国にも広く輸出された。

(3)電気式 搭載したディーゼルエンジンで発電機を回し、発生した電力でモーターを駆動する方式である。いわば発電装置を車両自体に備えた電気機関車である。機関車を2台以上連結しての総括制御に便利で切換えもスムーズ、保守も容易である。日本では大型ディーゼル機関車導入期の1957年(昭和32)にDF50形などに採用された。アメリカ、旧ソ連、中国などの大陸諸国は鉄道幹線の延長距離が長く、全線の電化が困難であることから、蒸気機関車からの動力近代化にあたって、機関車自体を発電所とする電気式ディーゼル機関車が採用された。したがって世界的には電気式がもっとも広く使われている。アメリカでは1950年に国内鉄道の完全無煙化をディーゼル電気機関車(アメリカではDiesel electric locomotive、DELとよぶ)で達成した。電気式には発電機によって直流式と交流式がある。従来はアメリカを中心に直流式が普及してきたが、制御電子機器の進歩に伴って、1990年代以降、交流発電機、コンバーターおよび誘導電動機を組み合わせた方式が主流となり、液体式を凌駕(りょうが)している。液体式のDD51形が古くなったので、その置き換え用として、JR貨物が北海道用に1992年から製造しているDF200形は電気式である。

 また、エネルギー効率向上と騒音低減をねらい、電気式ディーゼル機関車に大容量蓄電池を搭載したハイブリッド機関車が、アメリカ、カナダで実用化されている。起動時などの大出力が必要なときは蓄電池からもパワーを供給して、エンジンそのものの出力を小さくしている。日本でもJR貨物が、2010年(平成22)にHD300形ハイブリッド機関車を試作し、2012年から量産している。

 機関車用のディーゼルエンジンは、アメリカでは2サイクル、ヨーロッパでは4サイクル方式で発達してきた。日本では主として4サイクルエンジンが採用されている。型式も多様で、シリンダー数は6から18、配列も直列、V字、水平対向、直列対向などがある。燃料はディーゼル軽油で、日本ではJIS(ジス)K2204規格が使われ、潤滑油は内燃機油JISK2215である。各国でディーゼル機関の排出ガス規制が強化されつつあることから、燃料制御もコンピュータによりきめ細かく行われている。

[西尾源太郎・佐藤芳彦]

沿革と現況

ディーゼル機関車は1912年にドイツでつくられたといわれている。最初は蒸気機関車のように大きな動輪をロッドで駆動していたが、独自の技術の発達によって現在の型状に発展した。日本の国鉄のディーゼル機関車は、1929年(昭和4)と1930年、第一次世界大戦の賠償物資として1両ずつが鉄道省に取得されたことに始まる。DC10形は歯車減速の機械式、DC11形は電気式で、当時の機械・鉄道車両技術者にとっては貴重なサンプルであった。世界的に蒸気機関車からディーゼルや電化に向かう気運が盛んになり、日本でも1933年には当時の南満州鉄道に750馬力の電気式ディーゼル機関車の採用が計画され、汽車会社、日立製作所、東芝、新潟鉄工所などの製造会社は世界の技術水準に追随しようと開発を進めた。1935年、川崎車輌(しゃりょう)会社は電気式ディーゼル機関車DD10形1両を製造した。エンジンは新潟鉄工所製の8気筒500馬力、当時としては珍しいA1A・A1Aの軸配置で、両毛線用として小山機関区に配置された。しかし、1937年の日中戦争から第二次世界大戦敗戦まで石油資源の欠乏から、内燃機関を使用する鉄道車両の開発は中断された。ディーゼル機関車の製造が日本で再開されたのは1951年(昭和26)である。この年、スイスのザルツァー社との技術提携が行われ、国産化された8気筒4サイクルのエンジンを主機としたDD50形を新三菱重工業(しんみつびしじゅうこうぎょう)(現・三菱重工業)で製造、1953年に完成させた。このころから各種のディーゼル機関車を各社が試作して国鉄本線でのテストも行われ、標準型式として本線用は電気式のDF50形が1957年から、入換え用は液体式のDD13形が1958年から生産された。DF50形の主基機関にはザルツァー社との提携のほかに、ドイツのマン社とも提携してV型12気筒1400馬力エンジンも国産化され、搭載された。

 純国産技術による大型幹線用ディーゼル機関車は1962年3月のDD51形である。1100馬力のDML61形2基を搭載する液体式中央運転室凸形機関車で、国鉄の主力ディーゼル機関車として非電化区間の客貨両用に使用され、現在もJRで貨物用として使われている。支線区用のDE10形は同じくDML61形エンジン1基を搭載する液体式で、DD13形の改良型として1966年から量産された。また、除雪作業には従来ラッセル、ロータリー、広幅などの専用除雪車を蒸気機関車に連結して推進していたが、作業の合理化と能力増強のため、DD13形、DD51形、DE10形、DD16形のディーゼル機関車に除雪機能を付加した自走式除雪機関車が1970年以降製造された。

 鉄道動力の近代化を図るとき、電化設備には多大な当初の投資が必要であるが、ディーゼル機関車は蒸気機関車と置き換えるだけで無煙化と動力近代化が達成できる。大陸諸国のように線路が長く電化設備投資が膨大に上り電力の供給も困難な場合には、ディーゼル機関車が不可欠となっている。

 しかし、日本のような線路延長が短く旅客数の多い国では、車両修繕費や動力費などの運転経費の面では、長期的には電化が有利である。したがって日本の鉄道動力近代化は、電化が主流で、ディーゼル機関車は電化完成まで過渡的に使用されたにとどまる。貨物輸送量の減少、旅客列車のディーゼル動車への置き換えにより、ピーク時の1978年3月末に2207両だった旧国鉄のディーゼル機関車は、JR移管後の2002年(平成14)末には494両に減少し、その後も減少傾向にある。世界的には、非電化貨物鉄道の多い北アメリカ、アジア・オセアニアで増えている。

[西尾源太郎・佐藤芳彦]

『日本国有鉄道編『100年の国鉄車両』(1974・交友社)』『寺山巖著『国鉄ディーゼル機関車ガイドブック』(1976・誠文堂新光社)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディーゼル機関車」の意味・わかりやすい解説

ディーゼル機関車
ディーゼルきかんしゃ
diesel locomotive

ディーゼル機関を原動力とする代表的な内燃機関車。 1908年にドイツで初登場,日本には 30年にドイツから輸入され,2年後には国産第1号車がつくられた。給電設備がない地域で,蒸気機関車に代って多用され,鉄道近代化に大きく貢献している。動力伝達の方式によって,機械 (歯車) 式,液体式,電気式に分類される。機械式はディーゼル機関の出力を歯車によって動軸に伝えるもので,初期のものに多く,大型化が困難なため,最近ではみられない。液体式は液体変速機で動力を直接伝達する方式で,動力伝達の効率がよく,制御も比較的簡単など利点が多い。 JRグループでは未電化区間で蒸気機関車をディーゼル機関車へ取替えているが,近年はすべて液体式を採用している。電気式は,ディーゼル機関で直流発電機を回転させ,この発生電力で直流電動機を駆動して走る方式。装置が大きくなり,効率も落ちるが,制御が容易であること,燃料が豊富などの点から,アメリカでこの方式が多く採用されている。

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