デファン夫人(読み)デファンふじん(その他表記)Marie de Vichy-Chamrond, marquise du Deffand

改訂新版 世界大百科事典 「デファン夫人」の意味・わかりやすい解説

デファン夫人 (デファンふじん)
Marie de Vichy-Chamrond, marquise du Deffand
生没年:1697-1780

フランスの社交家,書簡文学者。修道院時代から信仰うすく,22歳で結婚するが,社交界の魅力のとりことなり,パリ高等法院長エノーら要人と次々に浮名を流す。1730年にボーヌ街,ついで47年にサン・ドミニク街にサロンを開き,ボルテールダランベールら当代一流の文人を集め,才媛の名をほしいままにした。50歳をすぎて失明何物をも信じられぬ曇りのない理性が災いして孤立感を深めたが,68歳で20も若いイギリス人ウォルポールに恋をし,その愛情は死ぬまで続いた。彼女が残した膨大な書簡は19世紀以後に公刊され,ウォルポール,エノー,ボルテール,ショアズール公爵夫人にあてたものが有名である。いずれも当時の社交界の実相を伝える貴重な資料であるのみならず,一人の18世紀人の心の記録として,読む者を動かす力をもっている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デファン夫人」の意味・わかりやすい解説

デファン夫人
でふぁんふじん
Marie de Vichy-Chamrond, Marquise du Deffand
(1697―1780)

フランス18世紀における有名なサロンの主宰者チュルゴー、ダランベール、その他百科全書派の哲学者たちが出入りした。晩年は盲目になり、読書係としてレスピナス嬢を雇うが、レスピナス嬢がサロンを開くと、それに常連を奪われ、淋(さび)しい孤独な生活を送る。イギリスの文人ホレース・ウォルポールなどとも交わした手紙は、その文章のみごとさにより、よく知られている。

[原 好男

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デファン夫人」の意味・わかりやすい解説

デファン夫人
デファンふじん
Deffand, Marie de Vichy-Chamrond, marquise du

[生]1697.12.25. ブルゴーニュ
[没]1780.9.23. パリ
フランスの女流文学者。自宅にサロンを開き,ダランベール,モンテスキューフォントネル,ボルテールら多くの文人と交遊。晩年に 20歳下のイギリスの作家 H.ウォルポールに恋し,彼にあてた手紙は,その『書簡集』 Les Lettres (1809~65) 中の白眉である。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のデファン夫人の言及

【サロン】より

…アンビル元帥夫人やエギュイヨン夫人のサロン,ブフレール夫人を中心としたル・タンプルのサロン,オペラ上演の日に開かれたパレ・ロアイヤルのサロンなども思想家,政治家を集めたが,文学的にはタンサン夫人marquise de Tencin(1682‐1749。ダランベールの母),デファン夫人(ルソー以前の古典派を代表する),レスピナス嬢(デファン夫人の下から分離独立して客をさらった,前期ロマン派の代表),ジョフラン夫人Mme.Geoffrin(1699‐1777。〈サン・トノレ街の王国〉を築いた),デピネ夫人,キノー嬢らのサロンが有名である。…

※「デファン夫人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android