フランスの哲学者。ルーアンで法律家の息子として生まれる。パリに出て母方の伯父で,劇作家のトマ・コルネイユの世話をうけ,サロンに出入りし,劇作に手をそめたり,《メルキュール・ギャラン》誌の編集にたずさわる。当時の文壇を二分した〈新旧論争〉では近代派の側について活躍し,《新・死者たちの対話Nouveaux dialogues des morts》(1683)を発表した。この作品は逆説にみちた24編の対話より成り,古代人の絶対的権威を否定して人間の本性が一貫して変わらないことを主張している。近代派で進歩の思想を奉じる彼にとっては,科学こそ近代人の優位を立証するものであった。さらに《世界の複数性に関する会話Entretien sur la pluralité du monde》(1686)において,彼はデカルトの渦動説を援用して天体の運動を説明するなど近代科学の普及につとめ,さらにキリスト教の地球中心型の考えに対抗して,他の天体に生物が存在するという仮説を提唱している。また《神託の歴史Histoire des oracles》(1687)を書いてキリスト教の神学と奇跡を分析・批判し,神託なるものが司祭たちの偽瞞であることを証明した。彼はコペルニクスやデカルトのような近代科学者の成果をわかりやすくかみ砕いて解説・紹介する努力を惜しまず,その文体は文学的感受性と科学的合理主義とが融合した親しみやすいもので,多くの読者を獲得した。1691年アカデミー・フランセーズ,さらに97年にはアカデミー・デ・シアンスの会員に選出され,99年からはアカデミー・デ・シアンスの終身書記を40年間もつとめた。その間,同時代の科学者に対するおびただしい賛辞を執筆したが,その全体は近代派の領袖にふさわしい生きた科学史を構成している。その科学思想,理論より有用性を重んじる近代精神,宗教批判,知的大衆の育成を目ざす啓蒙思想によって,18世紀の哲学者たちの先駆的存在となった。
執筆者:鷲見 洋一
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フランスの思想家。ルーアン生まれ。大悲劇作家ピエール・コルネイユと、その弟の劇作家トーマ・コルネイユの甥(おい)。初めトーマの影響でいくつか劇作を書いた。彼が脚光を浴びるのは『死者たちとの対話』Dialogues des morts(1683)からで、この作品には、のちに彼が得意とするしゃれた文体で科学思想の普及を説く萌芽(ほうが)がみられる。彼の傑作と目されるのは、1686年に発表した『世界の多数性についての問答』Entretiens sur la pluralité des mondesと、続いて世に問うた『神託の歴史』Histoire des oracles(1687)の2作である。前者においては社交界の貴夫人を相手に洗練された対話でコペルニクスの真理を語り、後者では奇跡を退け、科学の進歩を説いた。いわゆる「新旧論争」では近代派にくみし、1697年に科学アカデミー会員に選ばれてからは終身書記を務め、自由思想家(リベルタン)と百科全書派(アンシクロペディスト)との橋渡し的役割を果たした。まれな長寿を全うした人としても知られる。
[市川慎一 2015年6月17日]
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…広くは考え方と生き方において,宗教的権威から自由であろうとする者をいい,この意味ではエピクロスやルクレティウスなど,古代ギリシア・ローマの哲学者から18世紀の啓蒙思想家たち,さらには19世紀フランスのコント,ルナンなどや19世紀ドイツのフォイエルバハ,D.F.シュトラウス,マルクスなどをも自由思想家に数えることができる。しかし通常は,特に17世紀フランスの〈リベルタンlibertin〉と17世紀末,18世紀初めのイギリスの〈フリー・シンカーfree thinker〉を指すことが多い。…
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