ダランベール(読み)だらんべーる(英語表記)Jean Le Rond d'Alembert

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダランベール」の意味・わかりやすい解説

ダランベール
だらんべーる
Jean Le Rond d'Alembert
(1717―1783)

フランスの数学者、物理学者、哲学者。私生児としてパリに生まれ、ノートル・ダム寺院の傍らの小寺院の階段に捨てられ、貧しいガラス屋に拾われて育てられた。養育費は実父デトゥシュChevalier Destouches(1668―1726)がひそかに届けていたと伝えられる。

 パリの名門校に学び、若いときから数学に関心をもっていた。22歳になったばかりのとき、「積分法に関する論文」を公表して、学界にその名をとどろかせた。これをきっかけとして研究を進め、数々の論文を発表、1742年に、25歳の若さでパリ科学アカデミーの会員に選ばれた。翌1743年に『力学論』を公刊したが、このなかに「ダランベール原理」が出ている。この原理によって、「運動」の問題が「つり合い」の問題へ変えられて、「動力学」の問題が「静力学」の問題として取り扱うことができるようになったのである。

 もう一つ、「絃(げん)の振動」という物理現象の解明を、偏微分方程式

の解法へ転化して解いたものがある。この解法において、「任意の関数」ということばを用いている。この「任意の関数」についてオイラー論争することになったが、この論争が19世紀の解析学遺産となるものを生んだことから考えると、重要な論争であった。

 代数方程式の研究において、n次方程式がn個の根をもつことを示しているが、根の存在定理の必要には気づいていなかった。

 天文学においても、「歳差」の研究、地軸の「章動」の研究が著名である。また、三つの天体(太陽・地球・月)の運動を対象とした「三体問題」と取り組んでいたが、解決を後人に託したまま、66歳で永眠した。

 なお、ダランベールはディドロと共同して『アンシクロペディ』(『百科全書』)を編集して、数学の項目を担当した。さらに、この事典序文を書いたが、その内容は広範な分野にまたがっていることに加えて、名文であることで有名である。

[小堀 憲]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダランベール」の意味・わかりやすい解説

ダランベール
d'Alembert, Jean Le Rond

[生]1717.11.16. パリ
[没]1783.10.29. パリ
フランスの物理学者,数学者,哲学者。貴族の私生子で,サン・ジャン・ル・ロン教会に捨てられ,ガラス職人の妻アランベールに養育されたので,この名前となった。マザラン大学に学び,弁護士となったが,数学,物理学の研究に移った。 1743年剛体の運動の研究からダランベールの原理に到達し,解析力学の基礎をつくった。 1744年ダランベールのパラドックス,1749年歳差運動,章動を研究。また D.ディドロの百科全書の編纂に参加した。主著『文学,歴史,哲学雑集』 Mélanges de littérature,d'histoire et de philosophie (1752) ,『哲学要諦』 Eléments de philosophie (1759) 。

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