アメリカの生化学者。イリノイ大学卒業。ロチェスター大学で博士号をとり、ジョージ・ワシントン大学、コーネル大学教授。メチオニンとその関連物質を研究し、体内でのメチル基の移動を明らかにした。1940年、ビタミンHとよばれていた物質がビオチンであることを示し、その構造を決定し、合成に成功した。ついで、脳下垂体ホルモンであるオキシトシンが9個のアミノ酸からなるポリペプチドであることをみいだし、その結合の順序を決定した。1954年には、アミノ酸を連結して、天然のものと同じオキシトシンを合成したが、これはその後のタンパク質の人工的な合成研究の足掛りとなった。生化学的に重要な硫黄(いおう)化合物の研究、とくにポリペプチドホルモンを初めて全合成した業績により1955年ノーベル化学賞を授与された。
[石館三枝子]
アメリカの生化学者.1924年イリノイ大学でM.Sc.を取得後,ロチェスター大学でJ.R. Murlinのもとで研究し,Ph.D.を取得.National Research Councilからの補助金でイギリスに留学し,ジョンズホプキンス大学でJ.J. Abelに,エジンバラ大学でG. Bargerに,ロンドン大学でCh.R. Haringtonらに学び,アメリカに帰国後,1932年ジョージワシントン大学生化学部主任,1938年コーネル大学医学部生化学教授となる.かれの研究は,生化学的に重要性のある硫黄化合物を中心とし,インスリンの硫黄をはじめ,含硫黄アミノ酸のシステインの代謝や合成,メチオニンからシステインの生成機構,また下垂体後葉ホルモンであるオキシトシン,バソプレッシンの化学構造について研究し,1953年それらの全合成に成功した.この研究で1955年ノーベル化学賞を受賞.ほかに,メチル基転移,ビオチン,ペニシリンなどに関する研究がある.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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