1891-94年に成立し,1917年まで存続したロシアとフランスの同盟。ドイツ宰相ビスマルクはフランスを孤立させることを外交政策の要として,ロシアとの関係維持をはかってきたが,1887年ドイツの銀行がロシアの有価証券に対する貸付を禁止したため,ロシアはフランスに財政的支援を期待しだした。さらに90年ドイツの新宰相カプリービはドイツとロシアの再保障条約の更新を拒否し,国際的に孤立状態のロシアとフランスはますます接近した。91年ドイツ,オーストリア,イタリアが三国同盟を更新したのを契機にロシア,フランス両国は具体的交渉に入り,同年8月一方が侵略されるおそれがある場合にとるべき方策を協定した政治協定を,そして92-94年にかけて軍事協定を成立させた。後者の協定により両国の同盟は実質をともなった。この同盟でヨーロッパには二つの帝国主義的ブロックが形成され,やがてイギリスを加え三国協商を成立させる。
執筆者:高田 和夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
1891年から94年にかけて,フランスとロシアの間に結ばれた政治協定(1891年8月),軍事協定(92年9月)の総称。94年1月のフランス政府の軍事協定承認通告をもって露仏同盟の完成とする。秘密条約とされ,ドイツに対抗する体制として,三国協商の一環をなした。ビスマルクの退陣後露仏の接近が促されたのであるが,フランスの金融援助に対するロシアの期待がその促進の重要な要素となっている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…1891‐94年にかけて成立した露仏同盟,1904年の英仏協商,07年の英露協商により生じたイギリス,ロシア,フランス3国間の友好関係の総称。三国協商についての特定の規約はない。…
※「露仏同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新